奥の院では、小さな膳にいくつかのつまみと杯、それと真っ白で三角のお結びが、大きな笹のような濃い緑の葉にのせられていた。
一同が席に着くと、陽子が景麒と共に最後に入ってきて、二人で並んで上座を占めた。
冢宰である浩瀚が、口上を述べる。
「本日は、誠に美しい満月となりました。主上には毎日の御政務、お疲れのことと存じます。
私どもの、ほんの志にございますが、どうかお受けくださいますよう、お願い申し上げます。
また、台輔に置かれましては、瑛州侯としてのお仕事もございますのに、このようにお越しいただきまして感謝しております」
太師、左将軍、鈴と祥瓊、一段下には警護を兼ねて虎嘯、そして給仕担当の桂桂もいた。
陽子は、にこにこしていた。
「みんな、どうもありがとう。いただこう。太師に音頭を頼む」
遠甫が目を丸くするも、それではと立ち上がる。
「誠に僭越なれど、主上のご指名でございますれば、よき満月に乾杯をいたしましょう。ときに、陽子は冢宰におむすびを所望したそうじゃが……」
「はい、その通りです。蓬莱育ちの私は、米を白米に精米するのがこんなに大変なことだとは存じませんでした。申し訳ないことをしたと思っています」
「陽子は、新米のお結びが好きなんじゃろ?」
「はい?」
肯いたものの、何をおっしゃるのだろうと、陽子は首をかしげ聞き入った。
「不思議なご縁じゃ。おむすびには、結ぶ、という意味があっての。
まるで我々が陽子を中心に一つに結ばれていることを象徴しておるようじゃ。
このお結びには、その昔神事には欠かせないものじゃった。
それが、こうして今、陽子の元でともに食することができるとは、なんともいえない感慨深いものがあるのじゃよ。
われらは、それこそ出自も何もばらばらじゃったが、陽子を中心に集まり、お互い結び合い、慶国のために尽くそうとしておる。
酒もうまいが、今宵はおむすびも味わってみようかの」
遠甫の話をじっと聞いて、陽子は涙が出てきた。
「私の、大切な……仲間だ」
そう、つぶやいた。
「では、みなさま。酒をついでくだされ」
こぽこぽと音がする。
「美しい満月をめでるこころと、陽子が玉座におる慶国の発展を願い、乾杯をご唱和くだされ」
「「「乾杯」」」
一同の低い声が響いた。
言うまでも無いことだったが、ここに集まってきた者達は、気心の知れた者達ばかりであった。
陽子と景麒を中心に、官吏も少しずつ整理されてきて、金波宮が貧しいながらも整ってきたのである。
「うまい!」
桓たいがお結びをほおばり思わず叫ぶ。
「おお、うめえな。このおむすびってもんは」
虎嘯がすかさず相槌を打つ。
「鈴が結んでくれたんだって?」
陽子が尋ねると、
「ええ、昔 梨耀様のところで作ったことがあるのよ」
と、言った。
「私は、新米のおむすびなんて食べたのは初めてかもしれないわ」
祥瓊も、にこにこしながら、おむすびを上品に口に運んでいる。
陽子はそれこそ何年ぶりかになるおむすびを食べた。
蓬莱では「おにぎり」と呼んでいたのだが、遠甫の説明を聞いて、おむすびという言い方のほうが、今の自分にはしっくり来るような気がした。
不思議に、懐かしい思いは、わいてはこなかった。
それよりも、これを結んだ鈴、米を精米してくれた堯天の荒民夫婦、うすと杵を担いでいた桓たい、この宴を企画した浩瀚などが、頭の中を巡る。
不思議なえにしでむすびついた「仲間」。そんなことを考えていた。
「この酒は、ずいぶん上等だぞ桓たい」
「ほう?虎嘯は麦州の酒を気に入ったか」
「麦州の酒なのか?」
「ああ。麦州はうまい水があるんだ。おむすびにするような米はそれほど採れないんだが、酒にするとうまい米が昔からたくさん栽培されていた」
「おや、桓たいはみかけによらず物知りだなぁ」
「ほめても何もでないぞ」
大僕と左将軍は打ち解けている。
「ねえ、陽子。このお酒、飲みやすいわよ」
「鈴、ほんと?ちょっとこわいな……」
「ううん、大丈夫よ陽子。少しずつ、飲んでみて」
「祥瓊は、意外と強いって聞いたぞ」
「あら、誰かしらそんなことを言う人は」
祥瓊は、左将軍のほうに視線を移す。桓たいは気づかぬふりを決め込んでいた。
陽子は、注がれた琥珀色の酒を、少し口に含んでみた。甘酸っぱい香りがして、その中に酒精の刺激があった。
「これは、梅かな?」
陽子が尋ねると、
「ええ、そうみたいよ」
鈴が答える。
もう少し飲もうとして、陽子は自分の頬の辺りが暖かくなってくるのを感じた。あわてて、器を膳の上に置き、つまみを口に入れた。
「無理しなくていいのよ、陽子」
祥瓊は、酒に躊躇している陽子を気遣っていた。
「主上」
そんなとき、自分の半身が呼ぶ声が聞こえた。
「ん?なんだ、景麒」
「そろそろ、始められるようでございます」
「始めるって、何を?」
「冢宰と左将軍が、何か見せてくださるそうです」
陽子は、待っていましたとばかりに緑の瞳を輝かせ、居住まいを正した。
「わしも一つお手伝いをいたしましょう」
遠甫は、弦を張った小さめの三味線のような楽器をかかえ、撥を手にした。
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