桓たいは次の日の昼餉の後、兵舎での仕事の合間を見て、騎獣を使って堯天にある荒民の田まで出向いてみた。
お昼時とはいえ、秋は深まり、北のほうから冷たい風が吹いてくる。
もうすっかり稲刈りが済み、簡単な木を組んだ稲穂掛けにずらっと収穫した稲がかかっていた。
どうやら、まだ刈ったばかりのようであった。その稲束を風がゆすってざわざわと音を立てていた。
桓たいはあらかじめ目星を付けてあった荒民の小屋へ近づき、そこで野良仕事をしている若い母親に声をかけた。
「すまないが、ちょっと物を尋ねたい。ここの田んぼを耕しているのはお前さんがたかい?」
「はい、そうですが?」
まだ若い女だった。母親と思ったのは背中に赤子を負ぶっていたからだ。
子供は二歳か三歳ぐらいになるのであろうか、すやすやと眠りについていた。
「かわいい子だなぁ」
「ありがとうございます」
知らない男が尋ねてきて、訝しそうな顔をした女だったが、子供をほめられにっこりと笑った。
「俺は、禁軍に仕える者で、名を桓たいという。
この辺で、夏の夕立のときに池でおぼれかけた子供がいると聞いたんだが、こちらじゃなかったかな?」
女は、今度は仕事をする手を休め、目を見開くと、急いで桓たいのそばによって、
負ぶった子を気遣いながら平伏した。
「軍の方とわかりましたら、こんな失礼をいたしませんでした。
あの時はうちの坊やをお助けくださり本当にありがとうございました」
苦笑しながら、桓たいは自分でも膝を付き、女に面を上げるようにすすめた。
「今度の主上は、初勅で伏礼を廃止してしまったんだ。
お互いの顔を見ながらすごされている。簡単な拱手で良いのだ。
ほら、気をつけないと子供が目を覚ますぞ」
勢い良く平伏したので、背中の子供が目を開けて母親の顔を覗き込もうとしていた。
「あ、ああぁ、申し訳ありません」
若い母親は、あわててぐずりそうになる子供をあやした。
「いや、いいんだ。ところで、恩に着せるわけじゃないんだが、頼みたいことがある。聞いてもらえるか」
「はい、私たちでできることでしたらどんなことでもさせていただきます」
そうこうしているうちに、小屋から女の夫らしい人物が出てきて女のそばにより、拱手していた。
「お話は中で聞いておりました。所用がありそろってお礼を申し上げることができず、申し訳ございません」
「いやいや、そんなことは気にしないでもらいたい。
時に、こちらの田んぼは主上が勅命で開墾させていたのは知っていたか?」
「存じておりましたとも。私どもはここ何年か自分の田んぼを耕したことがございませんでした。
婚姻を結び、里木に祈って子供をもうけたにもかかわらず、
せっかく封地になった田を捨てて雁国に一時避難をしておりました。
今年の春にやっと堯天に戻ったのですが、田を受け取ることができず難儀していたのでございます。
それを、このようにして臨時とはいえ、田をいただき実らせることができましたのは、
主上のおかげと心得ております」
「では、そのこが夏におぼれかけたのを最初に飛び込んで助けたのも、主上だと言ったら驚くかな?」
「えっ!」
夫婦は目が点になってしまった。
「その主上が、こちらの田の収穫を大変心配しておられてね。今年はどのくらい採れそうだ?」
「は、はい……私ども夫婦は、頂いた田んぼがおよそ三百歩あまりでございました。
稲穂の様子を見ますと、まずまずの実りでございます。
だいぶすずめに食われてしまいましたが、
それでもおそらく二俵から三俵の米ができるのではないかと思っております」
「そうか、それだけあれば冬は越せるかな?」
桓たいが尋ねると、夫は、
「もちろんですとも、余った分を金に変えることができそうです」
破顔してそう言った。寄り添う女も幸せそうであった。
「税を納めるように誰かから言われてないかね?」
「はい、今のところは」
そういいながら、二人は明らかに不安そうな顔をした。
「そうか?以前から主上はこちらの荒民の田んぼからは税を徴収するなとおっしゃっておられるから、
もし、税を取りに来た官吏がいたらその顔を良く覚えていて、私に教えてほしい。
兵舎へ行って桓たいに言われたといえば取り次いでくれるはずだから」
二人は、そっとうなずいた。桓たいは脅かしてしまったかと、苦笑しながら、
「実は、主上からたってのお願いがあるんだ」
「主上が私どもに何か望んでおられるのか?」
二人はますます恐縮している。
「実は、主上は蓬莱の出身なんだ」
「存じております」
「うん、それで蓬莱では新米ができるとそれを白米に精米したようだ。
そうして、炊飯をして、その飯でお結びを作って召し上がったとおっしゃるんだよ。
先日それを懐かしく思い出されてね」
「左様でございましたか」
「それで、次の満月の夜にそのお結びをご馳走しようと考えたのはいいのだが、
金波宮では人手が足りなくてとれたばかりの米を精米することができんのだ。
そこで、お前達で用意してもらえると助かるんだが」
「どのくらいの米をお結びになさるんで?」
「ああ、五合程度でかまわない。どうだろう、できるか?」
「ほかでもない主上のためとあれば、ぜひやらせていただきます。
もし、よろしければうすと杵をお借りしたいのですが」
「ああ、精米するのに入用だな。よし見繕ってこよう」
慶国では、金波宮の中はともかく、民人の間では白米を食べることはめったにない。
玄米ですらなかなか食べられない。
保管しておくには、籾殻や穂のままのほうが鮮度を長く保てる。
そこで、経済的に豊かなものは、うまい米をたくために、使う分だけ脱穀精米して、
玄米飯やかゆにして食べていた。
籾殻のまま、炒っても、とても香ばしくおいしいものだ。
庶民が食べるときは、落穂を集めて、そんな風にすることもあった。
豪農などは、川に水車をかけて、その力を利用して、精米専用のうすと杵を置いて、
それで精米したりすることもあったが、今この時点での慶国では、かなり難しい話であった。
そこで、桓たいはなじみのある堯天の荒民が耕した田んぼに行って、様子を見たのである。
桓たいは思う。
―― どうやら、思ったより豊作だったようだ。
幸い、あの夫婦が精米を引き受けてくれたので、満月の宴までには間に合うだろう。
まあ、できなければできないで仕方ないか。――
彼は、一度兵舎に戻ると、蔵から少し古い物ではあったが、
うすと杵を探し出し、それを担いで、また田んぼまで戻ろうとした。
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