従順なる原初の使い魔 第十三節




 陽子は、二人の手を離さないように注意した。いつもの扉は、今回、浩瀚がその取っ手に手をかけ開いたのだ。

 まず、不思議な竹林のあるところから、通り道の隧道に出た。

 特に何事も起こらなかったような気がした。

「どちらへ行こうか?」

 陽子が浩瀚にたずねると、

「この時刻では正寝の方がよろしいでしょう。おそらくもう少しで夜が明けるかと」

「ほんと?そんなに入っていたのか。ああ、今日は上限の月だから、隧道の扉が現れている時間はいつもより少ないんだね」

 陽子は、このまま、ここにいて夜明けが来たら、出られなくなってしまうのだろうかと、漠然と考えていた。

 とにかくこの子達に、表を見せてあげよう。そう思って、正寝の方へ歩き出した。 両手にしっかりと、自称使い魔の子供たちの手をつかんで、進んでいったのだ。

 正寝に続く扉も、浩瀚に開けてもらった。

 ぶぉん、と音がしたような感覚は相変わらずだったが、四人は次の瞬間に表に出ていた。

 空はいくらか白みかけていた。昨晩とは異なり、今朝は割合と暖かい。夜があければさぞかし光がまぶしいだろう。陽子はそう思った。

 ああ、もうすぐ夜が明ける。そう思ったとき、二人の使い魔は、陽子の脇にぎゅっとしがみついた。

「大丈夫、夜が明けるだけだ。怖くないよ、ほら」

 陽子はかがんで二人をぎゅっと抱きしめ返した。二人の使い魔は、うれしそうに陽子の頬に顔を寄せた。

 温かい子供のほっぺたが、陽子の顔をくすぐるようだった。ふふふ、気持ちいい。 それに、どこか懐かしい甘い香り。陽子は目を閉じて、そのふわふわしたくすぐったい感覚を心から楽しもうとした。

 二人の使い魔は、風呂にもはいるのだろうか?なんだかいい香り。

 閉じた目の中に朝の光が差し込んでくるようだった。暖かい感覚と明るさが閉じたまぶたをそっと押し開けるような気がした。

 朝の太陽、小鳥の声、春らしい一日が始まる。

 そう思ったとき、陽子は二人の使い魔たちが急に軽くなったような気がしたのだ。

 なんだ。二人いっぺんに、抱き上げられるよ。

 そう思って、目を開けながら、よいしょ、と掛け声と共に立ち上がった陽子は、自分の腕の中に、見慣れない生き物がいるのに驚いた。

 その二匹の生き物は、じっと陽子の顔を見つめている。

 一匹は、蓬莱の狐によく似た生き物だった。子狐だ。黄色い瞳がくるくるしていた。なんとなく、細身だった方の使い魔の子供の面影がある。

 ということは?

 もう一匹は、蓬莱の狸に似ている生き物だった。やはり子狸のようだった。 こげ茶色のまん丸の瞳が、陽子をまっすぐに見つめている。そう、こちらは少しふくよかだった方の使い魔の子供によく似ていた。

 陽子は、二匹の小動物を胸に抱えなおし、頬擦りした。

 意外に固い体毛が、くすぐったかった。

「ひょっとして、君達があの使い魔だったの?」

 二匹の小動物は、そう、狐と狸といっていいだろう。狐狸は、こくんと肯いたような気がした。

 浩瀚は、陽子の後ろで、その様子を見守っている。

 風は温かく、梅は満開で散り始めている。桃が、杏がその花を競おうとしていた。

 陽子の胸で、かわいい狐狸は身じろぎする。

 軽く笑うと、陽子は腰をかがめ、二匹を地面に下ろしてやった。

 二匹は、正寝の庭の、藪が深いほうへと小走りに去ろうとし、一度、こちらを振り返った。

 まるで、よくなれた犬がお座りを命じられたように、ちょこんと座ると、深々とお辞儀をしたのだ。

 そして、二人からは見えなくなるところへと、走っていった。


 春の温かい風が、陽子と浩瀚の間を吹きぬけていく。

 はなびらが、二人の肩に舞い落ちた。


「浩瀚?」

「はい」

「これで、良かったんだよね?」

「良かったとは?」

「隧道は、もう扉が開かないかもしれないけど」

「左様でございますね。もう開くことは無いかもしれません」

「それにしても、あの使い魔君たちは、狐と狸だったんだね」

「はい。主上、そのことに関しましては、私は主上に一つ申し上げておく方がよいと思われることがございます」

「え、そうなのか?いいよ、どんな考えでも聞かせてほしい」

 段々高くなっていく朝日を浴びながら、陽子は少し眠そうな顔をした。

「主上が、あの使い魔たちに名をお尋ねになりましたが……」

「うん、ジーナとヨーコといっていた。変わった名前だよね」

 陽子は、腕組みをして、ほんと常世では聞かない名だった、とつぶやく。

「私には、はじめはそうは聞こえなかったのです」

「あれ、そうなの?」

「はい。最も、主上がジーナとヨーコだとおっしゃってからは、本人達もその名が気に入ったようでございましたが」

「ええーーそうだったのか。悪いことをしたかなあ?」

「そうではないと思われます。先ほども申しましたように、主上が名づけてくださったようなものでございましょう。 二人は、ジーナとヨーコと呼ばれることが、とても嬉しそうでございましたから」

「そうだった?それならいいんだけど。それで、本当はなんて言っていたんだ?私は聞き間違えたのかな」

「はい、私には『狢』と『妖弧』と聞こえました。」

「へ?『むじな』と『ようこ』???それ、ひょっとして蓬莱にいるといわれている妖怪じゃないか?」

「はい、蓬莱は分かりませんが、常世には御伽噺として伝わっております。狢も妖弧も人に化け、人を欺くといわれておりますが」

「そう、同じだね、蓬莱と。それじゃあ、私はむじなの『む』をききとることができなかったのか」

「そうかもしれません」

 しばらく考え込んだ陽子は浩瀚にこう言った。

「それでは、昔の景麟は蓬莱に渡って、蓬莱の妖怪を折伏したのだろうか?」

「はて?それは分かりません。彼らは普通の狢と狐だったのかもしれませんので。 彼らの話にありました、昔の景麟の大いなる力で、あやかしのようなことができただけかもしれません」

「そうだね。あの子達は、元気で生きていけるだろうか?」

「おそらくは大丈夫であると存じます。正寝にはあれらの餌になるような生き物も多く、生活するには困らないかと」

「うん、そうだね。隧道から出て、もとの姿に戻っただけなのかもしれない。誰かに捕まったりしないといいなあ」

「左様でございますね」

 陽子は、ひとつ大きなあくびを右手で口を隠しながらしていた。

「ああ、今日が公休日で本当によかった。浩瀚、付き合ってくれて本当にありがとう、礼を言う」

「いいえ、どういたしまして」


 そのとき、正寝の屋敷の方から声が聞こえてきた。

「陽子〜〜。どこにいるの〜〜〜?」

 鈴と、おそらく祥瓊の声であろう。二人は顔を見合わせると、にっこり笑い、声のするほうへと歩いていった。

「浩瀚、朝餉はここでとっていくように。鈴に頼んでおいたんだ、勅命だぞ?」

 口調は命令だが、顔は笑っている。浩瀚は微笑んで、丁寧に拱手で答えた。



 その次の日の朝議では、そこに並んだ主だった官吏たちを前に、陽子は久しぶりに勅命を出したという。

「今後、正寝の庭で狐と狸を見つけたものは、それを傷つけたり殺めたりしてはならない」

 誠に不思議な勅命であったが、官吏たちはみな承知したという。 まあ、承知するまでも無く、正寝の庭でみだりに殺生など行う者はいなかったのであるが、念のため。


 その後、月の沈んだ後にも、陽子はその正寝の庭で、不思議な扉を見かけたことは無かった。

 管理人がいなくては、隧道の扉は開かないのか、それともすでにその隧道はなくなってしまったのか、今となっては、誰にもわからない。

 不思議な不思議な、隧道であった。

第十四節

隧道三部作ページに戻る