従順なる原初の使い魔 第十四節




おまけの話



 浩瀚はその夜、珍しく奥の院で仕事をしていた。もちろん、夜まで仕事をするのは珍しくもなんとも無い。 しかしいつもなら、冢宰府で仕事をしているはずであった。 今宵は満月、先の上限の月の夜、彼は陽子と共に隧道に入り、そこにいた使い魔の二人を自由にした。 おそらく、もうかの隧道は扉を開けることが無いだろう。浩瀚はそんな風に思っていた。

 今日はあれからちょうど一週間、明日は公休日だ。今朝、桓たいから今夜は満月をめでながら酒でもいかが、と誘われていた。 しかし、なかなか仕事のけりがつかない。仕方ないので、奥の院へ持ち込んで、残る仕事を片付けていたのだ。

 妙な気配を感じ、浩瀚は格子を開けた。満月が煌々と輝き、奥の院は割合と明るかった。 春はたけなわ。もうかなり暖かい。桜も咲こうかという季節になっていた。

 そんな夜、露台にある手すりに、一人の少年が腰をかけていた。年のころは十五歳から十六歳。 主上よりも少し若いか?浩瀚は、冢宰府の最奥の庭にただの少年が迷い込んでくるはずは無いと思っていた。

 彼の顔には見覚えのある面影があった。

「こんなに早く成長するとは思っていなかったな、妖孤どの」

 少年は、手すりから飛び降り、浩瀚から二丈ほど離れて立つと口を開いた。

「ほう、俺が誰だか分かるか」

「わかるさ」

「陽子は元気か?」

「主上を呼び捨てにするな」

「おい、冢宰。お前は俺たちがなんだかだいたい分かっているんだろ?」

「ああ、そのつもりだが」

「だったら、その人間に限定された法律とやらを、俺たちに当てはめるのはやめてもらいたいな」

「律令ではなく、礼儀だ」

「あはは、それ、詭弁だぜ?」

「お前達、見た目は自分で変えられるのか?本当は何年ぐらい生きているんだ?」

「人に質問するときは、自分も答えたらどうだ?俺は、陽子は元気かと聞いたんだよ」

 浩瀚は苦笑した。妖かし相手に大人気ない。そう思った。

「主上は、お元気だ。安心するが良い」

「そうか、元気か。それならいい。ああ、俺たちの見た目のことを言っていたな。これは、どうなるか今のところはわからん。 この世界に出てきてから、まだ俺たちの力がどのくらい使えるのか試してないからな。年か?そうだな、二千年ぐらいは生きていたと思うが」

「なんだと?」

「へ?心配か。大丈夫だぜ、俺は陽子が気に入ってるからな。あいつが景王である限り、俺は陽子が悲しむようなことはしないつもりだ」

「お前は主上を好いているのか」

「なんだよ、今度は焼きもちか? 」

「何を言い出すのだ。隧道では、かわいい子供の姿であったのに」

「ふふふふ、あの姿はなぁ。隧道に入った景王の恋に影響されるのさ。 景王の恋が、幼ければ幼い姿、若ければ若者の姿、大人であれば大人の姿に、俺たちは変わるのさ」

 浩瀚は、黙った。

「そうだな。陽子は恋をしていそうだ。しかし、それはまだ幼子のようなもんなんだろ? だから、俺たちはあんな姿だったのさ。今更言っても、もう隧道はなくなってしまったが、念のため言っとくな。 恋をしていなければ、隧道に入ることはできても、俺たちに会うことは無いのさ」

「では、主上はどなたかに恋をしておられるのか」

「おい、怒るぞ。相手はお前だろ?」

 妖弧は、続ける。

「お前、隧道は必要ないって大見得切ってたよな。陽子を大事にしろよ。仕事ばっかりしてねぇでさ」

 浩瀚は、苦笑した。いつもなら、桓たいあたりに言われていることだ。そういえば、桓たいはどうした?

「あれ、熊の将軍さんか?おい、ジーナ。そんなとこに隠れてねぇで出て来いよ」

 少年と同じくらいの年齢の少女が、露台の影からそっと出てきた。

「おい、冢宰。ジーナはお前が気に入ったようだぜ。俺たちは、それぞれが男と女だ。 時の景王の性別によって、どちらが景王に付くか決まっていたんだよ。そして、残った方がその相手に付く。 隧道に入ってきたら、それぞれが世話をしたんだ」

 ジーナはあまり話が好きではないのか、ヨーコの耳元で何か囁くと、にっこり笑い、少年のそばによって浩瀚の顔を見ていた。

「お前の友達の将軍さんは、ジーナがそこの廊下で眠らせたそうだぜ」

 浩瀚の表情が少しきつくなる。

「王宮でそのようないたずらは慎んでもらおうか」

「ほう、いいのか俺たちの話を聞かれても」

「私は別にかまわん」

「陽子の話もか?」

 浩瀚は、二人をにらみつけると、黙って肯いた。

 ジーナがまた、ヨーコに囁く。

「わかったわかった。あまりお前を困らせるなとジーナが言ってる」

「それはありがたい。ところで、お前達は蓬莱の者なのか」

「ああ、俺たちは蓬莱では妖怪と呼ばれていた。景麟によってこちらの世界につれてこられたのさ。 あのころ、蓬莱ではどこに行っても追いかけられ、ひどい目にあっていた。ジーナもだ。それで、景麟の話に乗ったのさ」

 ジーナがきつい顔をしてヨーコをつつく。 んだよ、わかったよ、などと応対をしているところを見ると、景麟とヨーコの関係は、彼の言うように対等なものではなかったようだ。

「折伏されたのか?」

「うるせぇ」

 浩瀚は、ふふと笑った。

「今日は挨拶だ。また会うことはあるかもしれねぇし、無いかもしれねぇ。陽子によろしく言っておけ。がんばれよ?」

 そういうと、忽然と姿を消した。


 その、すぐあとに冢宰府につながる回廊の方から、桓たいが現れたのだ。

 浩瀚は、桓たいの無事な姿を見て、ほっと一息ついた。

「浩瀚様、遅くなって申し訳ございません。急に眠気に襲われて。春だからですかねえ?」

 左将軍は、のんきなことを言っている。

「ああ、待ちかねた。今宵も飲むか」

「はい、浩瀚様」

 浩瀚は、先ほどすでに置いた筆を確認すると、周りを片付け、酒の用意をした。

 今日も、私は桓たいを相手に愚痴をこぼすことになるのだろうか。浩瀚はひとり静かに笑っていた。


旧後書き

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