従順なる原初の使い魔 第十節




 しばらく先に進んでいった二人は、いつもの恋文であろう書簡が貼り付けてある衝立のところまできた。

 昨日、管理人の子供たちが説明していたように、さきほどの岩山に現れた扉と同じような扉があることに気がついた。

 昨日も、ここから出て隧道を歩いていったはずなのだが、不思議なことに二人ともその記憶があいまいであった。

 扉の取っ手に手をかけると、また、いつものように、何かが体を通り抜けるような、自分の周りだけ風が吹いたような、そんな感覚にとらわれた。


 その感覚が去った後、二人は、昨日と同じ風景を目にした。

 深い竹林、小さな池、朱色に塗られた太鼓橋。

 今日は、なぜかその竹林がざわざわと音を立ててゆれているように感じた。


「「いらっしゃいませ」」

 かわいい声が響いた。

「景王様、いらっしゃいませ」

「またいらしていただき、誠にうれしゅうございます」

「うれしくてうれしくて、私たち二人はとても元気になりました」

「景王様に来ていただくと、とても元気になれるのです」

「「どうぞごゆっくり、お過ごしくださいませ」」

 二人の声が、竹林にこだまするようだった。

「ジーナ、ヨーコ、今日もまた来ることができた。私もうれしいよ」

 そういうと、陽子は二人をかわるがわる抱き上げて、その額にちゅっとくちづけた。

 ジーナとヨーコは、ひどく狼狽してしまった。

 陽子がその様子を見て、いけないことをしてしまったのかと、不安そうな顔をしたので、二人はあわてて、

「景王様、悲しくならないで!」

「ならないでください。うれしかっただけです」

「私たちはとてもうれしかっただけです」

「心配しないで下さい。悲しい顔をしないで下さい」

「「景王様が悲しいと、私たちも悲しくなってしまいます」」

 かわるがわる、陽子の顔を上目使いで見上げる二人の小さな管理人は、本当に心配そうな顔をしていた。


「主上、このお二人に、大変懐かれておいでですね」

 浩瀚が微笑みながら声をかけると、陽子は照れくさそうに笑った。

「こんな、小さな子供たちにまで心配してもらえるとは、私もうれしいけど、なんだか胸の辺りがくすぐったい」

 陽子は、両目をぎゅっと閉じて、首をすくめて見せた。そして、二人の小さな管理人の手を取ると、

「昨日案内をしてくれるといっていたけれど、どうかな?」

と、二人に尋ねた。

「はい、お安い御用です」

「準備はもう整っております」

「私たち二人、景王様がいらっしゃるのを、心待ちにしておりました」

「とっても楽しみに、お待ちしておりました」

「ご案内いたします」

「しっかりご案内いたします」

「「どうぞこちらへ」」

 陽子は二人の手をつなぎ、浩瀚はその後に従って、管理人と称する子供たちについていったのだ。



 太鼓橋を過ぎると、その奥に小さな露台がある。

 さらにその奥には部屋があるようだった。

 露台には、お茶の用意がしてあり、とても良い香りをくゆらせていた。

 たいそう高価と思われる茶器に、美しい金色をした、不思議な香りの茶が注がれていた。


 酒ではないのか。

 浩瀚は、この隧道が愛を語る場所だと思っていただけに、さわやかな対応に内心驚いていた。

 二人の子供に椅子を勧められ、陽子は席に着く。

「浩瀚にも、座ってもらっても良いかな?」

「「どうぞどうぞ」」

 二人はむしろ、そんな陽子の申し出を待っていたかのように、浩瀚にも椅子を勧めた。


「のどが渇いていたから、おいしい!」

 陽子は、作法こそ王宮で習っていたように行っていたが、そのお茶を喫すると素直に感想を口に出していた。


 よもや毒ではあるまいが。

 今更遅いか、私としたことが、毒見もせず。主上が先にお飲みになってしまった。

 苦笑して自分も注がれた液体を口にする。


 浩瀚は、おや?と顔をしかめた。  ちょっとした刺激があるのだ。まさかと思うが、媚薬ではないか?

 管理人の方を向いた浩瀚は、二人の子供が、そのときは妙に大人の顔をして、じっと浩瀚の顔をうかがっていたことに気がついた。

 主上は!? 浩瀚はあわてた。

 陽子も、ただのお茶を飲んだにしては、顔色がとても良く、上気しているようであった。

 二人の子供は、意味ありげな視線を浩瀚に送って、陽子の手を取り、先を案内しようとしている。

 浩瀚は、やはり後についていくしかなかった。


 大きく開いた格子を抜けて次の部屋に案内された二人は、目を見張った。

 豪奢な天蓋付の寝台が置いてあったからだ。

 浩瀚は思わず、寝台の上で行われるであろう行為を頭に描いてしまった。

 そのせいで、尚いっそうからだが熱くなったが、二人の子供の手を引いていた陽子は、そうは思わなかったようだ。


「すごい寝台だね、正寝にあるわたしの寝台よりも、ずっと豪華だよ」

 そう言って、小さな管理人達に微笑みかける。

 管理人達が、何か言おうとしたその前に、陽子は二人にこういった。

「こんな素敵な寝台で毎日寝られるなんて、君達幸せだね」

 陽子は、満面の笑みで真面目に伝えていた。

 浩瀚は、思わず噴出してしまった。

 先ほど、子供とは思えないような艶のある目で浩瀚を見据えた二人の管理人が、目を白黒させて、なんと応対してよいか、言葉を失っていたからだ。

 その、浩瀚の視線に気づいた二人は、むっとして浩瀚に背を向け、陽子の腰の辺りに、二人してしがみついた。

「どうしたの?二人は甘えん坊だなあ」

 陽子はうれしそうに、二人を抱きしめる。

「主上、この後どういたしますか?」

浩瀚が問いかける。

 まさか、寝台の上で愛を語るわけにも行くまい。

 浩瀚は先ほどのお茶が、それほどしつこい媚薬ではないことに感謝した。 管理人達は陽子の幼い部分を理解して、はじめからきつい薬物を使うのは控えたのだろう。そう思った。

「うん、私はもう少しここにいて、二人の話を聞きたいんだ」

 陽子は、にこにこして言った。

「「私たちの話ですか!?」」

 二人の小さな管理人は、びっくりしたような顔をしていた。

「へ?なぜ??君達、管理人でしょ? 今までずっとここを管理していたのだったら、色々なことを知っているんじゃないの?」

 豪奢な寝台に腰を下ろした陽子は、二人の子供を、ひとりずつ自分の両隣に座らせて、ひどくうれしそうにしていた。

 浩瀚は、にこにこしながら、3人の前に膝をついた。

「左様でございますね。私もぜひ伺いたく存じます」

 二人の子供は陽子を挟んで顔を見合わせ、上目遣いに陽子の顔を見た。

「何を」

「お話いたしましょう?」

おそるおそる、たずねていた。

「う〜〜んそうだなあ……。君達はどうしてここの管理をしているの?  どうやって管理人になれたの? こんなにかわいいのに、隧道を使うかどうかも分からない国王のためにずっとここに住んでいるなんて、 とっても不思議な話だよ。ねえ浩瀚?」

「はい、私もぜひお聞きしたいですね」


 しばらく二人は、お互いを見つめあっていたが、やがて決心したように口を開いた。

「わかりました」

「それではお話いたしましょう」

「私たちは、ずっと昔の景麟様に、こちらに連れてきていただきました」

「景麟様の大いなるお力で、こちらの管理をすることになりました」

 陽子は、思わず聞き返す。

「今、景麟(けいりん)って言ったの?」

「「はい」」

「それこそずっと昔だよね」

 浩瀚の顔を見て陽子は確認する。

「左様でございますね」

 浩瀚も肯く。

「ねえ、ヨーコ、ジーナ?その景麟がこの隧道も作ったんじゃないの?」

「はい、ご正解!」

「景王様、すばらしい。大正解です」

 二人は大喜びだった。

「景麟様は、とても強い力をお持ちでした」

「そして、とてもとてもお優しい方でございました」

「まるで、景王陽子様のようでした」

「陽子様のように私たちにも優しくしてくださいました」

 二人の子供は、遠い過去を振り返るように、その瞳の先を宙に彷徨わせた。

「ここは、景王とその恋人が愛を語る場所なんでしょ?」

「「はいはい、そのとーり!!」」

 陽子は、その物言いにおかしくなってしまい、大きな声で笑い出した。

 ひとしきり笑った後、

「それじゃあ、その景麟が使えた景王のために、この隧道は作られたんだね」

「左様でございます」

「その通りでございます」

 ふたりは、寝台から降りて、陽子に向かって静かに拱手していた。

「ねえ、その景王と、恋人の話、聞かせてくれる?」

 浩瀚は三人のやり取りを黙って聞いていた。

 大昔の景麟というが、いったい何時の話であろうか?自分の知識の中には、心当たりが無かった。

「主上、お恐れながら申し上げます」

「うん、何?浩瀚」

「もう、夜も更けたかと存じます。 こちらにとどまっている時間が、隧道の外と、同じかどうかは私もよくわからないのですが、 明日も、政務がございます。いかがでしょう、次の公休日の前日が、ちょうど上限の月に当たります。 真夜中に近くなりますが、次の日が公休日でございますれば、夜更かしをされましても、いくらか主上の御身にはよろしいのではないかと存じますが」

「ああ、そうだね。そうすれば、月と隧道の関係もさらにはっきりするね。夜中になるのであれば、 いくらか事前に仮眠も取れるだろうし。よし、今日はここでおしまいにしよう。ヨーコ、ジーナ、ごめんね。 また、明日、あさって、しあさっての晩に来るから、それまで待っていてくれるかな」

「はい、よろしゅうございます」

「よろしゅうございますとも、陽子様」

「陽子様は、こちらの方とまたご一緒にいらっしゃいますか?」

「お二人は、とても仲良しでございますね」

「わかります」

「私たちは、わかります」

「「どうかお二人でまたいらっしゃいませ」」

 浩瀚は、先ほどお茶を飲んだときの二人の艶を含んだ表情を見ていたので、単純には喜べなかったが、陽子は、大喜びで、二人に挨拶していた。

「ほんと?私たち、仲良しに見えるの!うれしいな。きっと次も、浩瀚と来るからね」

「「はいはい、どうかいらしてくださいませ」」

「うん、きっと来るよ。だから、昔の景王の話を、きっと聞かせてよ」

「「かしこまりまして!」」

 二人のかわいい声を聞いて、にっこり笑うと、陽子は、ばいばいと手を振って、浩瀚と共に、先ほどの扉を開けて隧道から正寝へと戻っていった。

 

第十と半節

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