一夜明けた朝、禁門には官服を着た陽子と浩瀚の姿があった。
今日は寒さが増している。
禁門から見える空は雲が多く、地上がかすんで見えた。
二人を護衛する禁軍は二両。すでに到着予定の里近くに配置されているはずだった。
「重朔、主上を頼みますよ」
「かしこまりまして」
大きな猿型の妖魔は、返事をするとするっと陽子の影に潜り込む。
「景麒、いつも見送りありがとう」
「いいえ、お早いお帰りを」
「ははは、わかっているよ。心配しすぎだ」
穏やかに答える陽子を見て、台輔と冢宰は、お互いに顔を見合わせ、表情をゆるませた。
「冢宰、主上をお願いいたします」
「命に代えても、お守りいたします」
そんな挨拶を聞いて陽子は口をとがらせる。
「おい、浩瀚。もう以前の私ではない。冗祐がいなくても、水禺刀が無くても、自分の身ぐらい守れるよ。浩瀚のことだって守ってやるから安心しろ!」
もちろん、重朔はとてもたよりにしているよ、忘れてないからな? などと、地面に向かってぶつぶつ話している。この景王は使令思いだ。
そう言った陽子に、浩瀚は笑って頭を下げた。
「では、よろしくお願いいたします」
「おい、お前、全然そう思ってないだろ?」
「滅相もございません。しかし、主上、台輔も。慶はずいぶんと安全な国になりました。今日も大事ないと心得ます」
「その通りです、冢宰。主上が羽目を外したりしなければ、何事もなく戻ってこられるでしょう」
「あのなあ、景麒……」
「では行ってらっしゃいませ」
「わかった、わかった。ここにいても嫌みを言われるだけらしい」
「主上、またそのようなことを台輔におっしゃって?」
「うん、そうだな。せっかくの公休日。冢宰と共に視察に行けるのだから、そのくらいは我慢するか。景麒、行ってくる」
苦笑する慶国の麒麟をあとにして、陽子はそう言って、浩瀚と共に二頭の吉量にそれぞれ跨った。
ふわりと騎獣を飛翔させると、堯天の街、陽子の作った里を目指した。
「浩瀚、昨日はあんなに良い天気だったのに、今日は雲が厚いね」
北風が強く、視界が悪い。
「左様でございますね。寒くはございませんか?」
「今のところ、大丈夫だけど。あ、あれ??」
ぽつり、ぽつりと水滴が当たる。
雨だ。
急に雨が降り出した。
あっという間に、ざあっという音がすると、本降りになった。
北からの冷たい風に乗って、雨脚が強くなる。
「主上!?」
浩瀚が、聞こえるように声を張り上げ心配そうに陽子を呼べば、
「浩瀚、おまえは大丈夫か?」
やはり大きな声で答える。浩瀚は自分が主上を心配するより先に陽子に心配されてしまったと思った。
相変わらず、ご自分よりも他人のことを心配される方だ、そう感じながら答えた。
「はい、大丈夫ですがこのままでは着物が濡れてしまいます」
「もう、里まで行くしかないだろう! 急ごう!」
「御意!」
二人は吉量を力一杯翔させた。
冷たい雨が横殴りになる。
ぶすぶすと雨粒が音を立て、体に刺さるようだ。
吉量が、
「ぶるるん」
と体を震わせた。
寒いのだろうか。
まだ吐く息が白くなるほどではないが、冷たく強い雨だった。
四半時も翔けたか、やっと雨が小降りになってきた。
いつもの里が見えてくる。
二人はほっとして、顔をみあわせた。
いつもと同じ、くくっただけの赤い豊かな髪が、ぐっしょり濡れている。
官服が水を含んで重そうだ。
緑色の強い瞳はそのままだったが、頬が紅潮していた。
必死で吉量を翔けさせたのと、冷たい雨に打たれた寒さと両方だろう。
浩瀚は、早くお着替えをしていただかなくては、と思った。
陽子は、いつもきちんとそろえている浩瀚の鳩羽色の髪が、外出用の簡易な冠とともにぐしょぐしょになって乱れているのをみて驚いた。
普段は髪だけでなくすべての点できっちりと整った風情の彼が、むしろ野性味にあふれて、違う人間を見ているようだった。
琥珀色の優しい瞳だけは、変わらず自分を見ている。
「風邪を引いてしまうぞ」
浩瀚は思わず苦笑した。また、先にお言葉をいただいてしまった。
「左様でございますね。いつもの舎監に行って、体勢を立て直しましょう」
「ああ、それがいい」
二人はその緑色の瞳と琥珀色の瞳が、それぞれしっかりとした光を持っていることを確認して、小降りになった雨の中、吉量の手綱を引いていった
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