きらきらとまぶしい光が西の窓から差し込んでくる。
長い影と少し短い影が二つ、執務室の床に落ちた。
短いほうの影は椅子に座って机の上で何かしている。
長い方の影は、一丈ほど離れて静かにたたずむ。
陰影は濃くはっきりとして、座っていた方の人影が顔を上げた。
「あれ、もうこんな時間だ」
「西日が差し込んで参りましたね」
「ああ、もうだめだ。急に明るくなって、手元がはっきり見えないや」
「では、おおいをかけるように命じましょう」
「うん、頼む」
そう言うと、声の主は両手を思いっきり挙げて、のびをした。
座っている方の影の主は、ここ、慶国は金波宮の国主である、景王中嶋陽子その人である。
年の頃は十六。少女といえないこともない。もっとも、神仙となっているので、見た目とその生の長さとは一致するとは限らない。
立って下官を呼んだ影は、怜悧な相貌を持った三十才くらいの男。慶国の復興にこの人有りと呼ばれる、百官の長。冢宰の浩瀚であった。
この年は、昨年の暮れをまたいで慶国、特に堯天のある瑛州では比較的早く雪が降った。
降雪量は多く、山に雪が積もり、春の頃には豊かな雪解け水となり、山野を駆けめぐった。
夏の日照りは、例年より暑いくらいだった。
そして、今は秋。
慶国の田には、今年もさらなる実りが約束されている。
赤楽十年と少したった今、慶は驚くほどの復興ぶりを見せていた。
景王陽子は、今内殿の執務室にて、たくさんの書類に御璽を押しているところだった。
国が豊かになるにつれ、また、陽子の勉学が進むにつれ、執務の量は減っていきそうなものだが、それはまったくの思い違いであった。
どんどん量が増えていく。
陽子の文章読解力もついてきているので、こなせる仕事量は増えているにもかかわらず、必死で執務を取る時間が減ることはなかった。
浩瀚は、冢宰として、台輔や太師と共に、良く陽子を支えていた。
陽子も良く、冢宰の期待に応えた。
そんな二人は、いつしか主従を超えた想いを持つようになっても、それを誰が責められるだろう。
忙しく、しかし穏やかに過ぎていく、秋の夕暮れ時。
二人は、忙しいながらも幸せであった。
「主上、明日の公休日にはいつものように視察をなさいますか?」
「うん? あれ、もう一月経ったのか」
「はい、月日の経つのは遅いような早いような、不思議な感じがいたします」
「本当だね。もちろん、行くよ」
「私も、ご同行させていただけますでしょうか?」
「え、浩瀚も出て行けるの?」
「はい、たまたま仕事の区切りがついておりますので。桓たいの提案した禁軍の情報網についても、どの様な具合か直接確認したいと思いまして」
「そうだね。では、せっかくだから一緒に行けるように考えてみるよ」
「申し訳ございません。すでに台輔や太師とはご相談させていただきました。禁軍もいつもより護衛を増やしてくださるそうです」
「相変わらず手回しがいいな。ほめておく」
「光栄でございます」
「ああ、それから大僕は休ませてやってくれないか。夕暉が赴任先から帰ってくるらしいんだ」
「わかりました。では護衛は桓たいに頼んでおきましょうか」
「それもかわいそうだよ。せっかくの休みだし。最近の堯天はとても治安が良くなっているから、大丈夫だと思うぞ」
「左様でございますか?」
「私も、油断したりしないよ。それにしても、西日は結構暑いな」
「はい、暗くなりますが硝子窓にも覆いをいたしましょうか?」
「いや、いい。秋の日はすぐに沈むだろ?」
「わかりました」
さてと、御璽御璽……、などと独り言を言いながら、陽子はまた書類と格闘し始めた。
赤楽何年頃だったか、陽子は堯天に小さな里のようなものを作った。
試験的な試みだった。
色々とやりたいことがあったのだが、すぐさま全国で行うには、陽子の考えは常世的に突拍子もないことが多かったのだ。
朝議で提案しても、なかなか受け入れられない。冢宰も、間を取り持つのが大変であった。
そこで、太師がちょうど呀峰が予王に献じたときのように、小さな里を自分で管理して見てはどうかと提案したのだ。
「しかしのう、陽子。わかっておるじゃろうが、その里におぼれてはいけないよ」
「そうでしたね。予王は呀峰から献じられた小さな園林から出てこなくなったと聞いています」
「はい、主上」
「景麒、心配するな。私はそんなことにはならないさ。まず、小さいところで試してみて、うまくいったらだんだん広げていきたい」
陽子の頭の中には、大使館制度をはじめとして、病院や保険など蓬莱のいくつかの制度があったが、なかなか実現には至ってはいなかった。
陽子の夢は広がる。
そして、民人のことを一番に考える陽子という景王は、頻繁に街におりていたかった。
しかし、そんな陽子の思いを実現するには、危険が伴う。
安定したとはいえ、いつどこで襲われるかはわからない。随分と復興した慶国だが、未だに「女王は!」と言われることもある。
そう考えた末、里そのものを信頼できる者たちでこしらえてしまえ、という前代未聞の策が練られ、実現したのだ。
井田法に基づいて作られたが、職人や商家も同時に作られた。
ちいさな、郷都のような様子を示した里であった。
もちろん、女王の身を心から案じている冢宰が、心を砕いたという噂であった。
月に一回視察に行くのは、この里であった。
公休日を利用して、景麒、鈴や祥瓊、虎嘯と夕暉、桓たい、太師や蘭桂、時には六つある府吏の長である者と、同行したりもした。
もちろん、冢宰と二人で行ったこともあったのだが、今年は年が明けてから、なぜか浩瀚とは二人で行く機会がなかった。
久しぶりに、浩瀚と二人で里へ下りていけると思うと、陽子はなんだか胸が熱くなった。
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