第十八節




 班渠は、浩瀚の官邸まで人目につかないように駆け抜けると、二人を下ろし、陽子の影に遁行した。

 浩瀚は、自分の官邸にある大きな門を、目を細めて見上げると、その視線を下ろし、陽子に向かって微笑む。

「主上、今日は中ではなくて、裏手の方をご案内いたします」

「裏? というと凌雲山の崖になるんじゃないのか?」

「はい、慶国の冢宰官邸は、凌雲山の南側を削り、そこに建てた物でございました。建物の裏は、その崖になっております」

「???」

 いったい何を見せてくれるんだろう。陽子は首をかしげたが、

「ま、いいや。浩瀚? お前に付いていけばいいんだろ?」

と、返した。

「はい。すぐそこでございます」

浩瀚も答える。



 陽子は、浩瀚の後につき官邸の周りを巡る塀に沿って、細い道を通って行く。

 雲海の上は、すがすがしい空気だった。少しばかり風もあり、次第に強くなっている太陽の光を、穏やかにさせるのに一役買っていた。

 細い道は、官邸の塀と崖に挟まれて、暗くなっていった。いつのまにか随分奥まできている。官服を着ているわりに身が軽い浩瀚は、上り道も平然としていた。

 最近、運動不足なのか、陽子は少し息が上がる。結構きつい上り坂になっていた。 官邸の塀はだんだん低くなっていくように感じたが、それは自分たちが急な坂を上っているからだと陽子は気づいた。



「主上」

 先に行く浩瀚は、段差がかなりある岩だらけのところで、後ろを振り返り、手をさしのべた。 躊躇することなく、その手をたより、ぐいっとひきあげられながら上った陽子は、そこで、官邸の塀が終わったことを理解した。



「うわあ!」



 暗かった細道が突然開けた。明るい太陽の光が降り注ぐ。 陽子の目の前には、冢宰の官邸にあたる赤い瓦屋根の建物が並んでいた。 気がつかないうちに随分上っていたらしい。足下に見える景色に、陽子は感嘆の声を上げた。

 浩瀚は、そんな陽子の姿をみて、自分は本当に幸せだと思った。

「主上、私がお見せしたかったのは、これでございます」

そう言って、浩瀚は、官邸とは反対の崖の方を指さした。

 そちらを振り返って見た陽子は、息が止まるかと思った。



 おおよそ百歩ほどの長さに、十丈以上の高さになるだろうか?

 濃い緑の蔓草が、まるで滝のように、崖一面覆っている。

 そして、まるで緑が微笑むように、目立ちすぎず、隠れすぎず、ほどよく自己主張する、揺れる真っ赤な細長い花。

 その花がいくつも房のように下がっている。

 風に揺れる、赤と緑の競演だった。



「これは、これだ、わたしが好きだった、あの花」

「はい、突抜忍冬でございま

「すいかずらの仲間だって、教えてくれたな」

「はい、懐かしゅうございます」



 陽子と浩瀚は、二人並んでその場に立ち、しばらく崖一面に揺れる突抜忍冬の真っ赤な花を見ていた。

 細い花弁が筒状になって広がり、それが蔓の先の方に付いている。



「側によって、見てもいいか?」

「足下にお気をつけください」

浩瀚がそういうと、陽子は笑って、彼に向かって手を伸ばした。

「支えていてくれるんだろ?」

 一瞬、びっくりしたような顔をした浩瀚は、すぐに穏やかに笑うと、その手を取って、忍冬の咲く崖にさらに近づいた。



 一房、手にとって陽子は確かめていた。

「うん、この花だ。それにしても一面に咲いていて、見事だな」

「お褒めに預かりまして、光栄でございます」

「元々、あったのか?」

「いいえ」

「え? そうじゃないんだ。じゃあ、植えたのか?」

そう陽子に問われた浩瀚は、ひどくうれしそうな顔をした。



「以前、主上からいただきました忍冬の枝、あの枝を挿し木いたしましたところ、このように増えたのでございます」

「え!?」



 陽子は、びっくりした。確かに十年以上前、まだ登極して間もない頃、そう、拓峰の乱を治めたすぐ後ぐらいだ。 麦州に棚田を見に行ったときに、なにも土産が無くて、この凌雲山に咲いていた赤い花、突抜忍冬というんだっけ、この花を摘んで下賜したんだ。 確かに枝ごと渡したんだけど。そうか、こんなになってしまうのか。



「すごいな。植物って、なんて力強いんだろう」

「左様でございますね」



 風がまた吹いた。赤い花がくるくると揺れる。



「主上?」

 浩瀚は、愛おしい気持ちを胸の辺りでじっとこらえて、陽子に話そうとしていた。



「ん? なんだ、浩瀚」

「主上は、この花の花言葉をご存じだったのでしょうか?

」 「突抜忍冬の?」

「はい、忍冬はすいかずらの仲間でございます。花言葉をお調べになるときはすいかずらでお調べになるのがよろしいかと存じます」

「申し訳ない。今ここでは調べられない、よくわからない」

「では、偶然だったのでございましょう」



 男は陽子から視線を外し、しばし遠くの青い空を見つめる。



「あの、何という花言葉なんだ?」





「愛の絆」





 陽子は、背中がぞくっとするほど驚いた。

「あいの……きずな……?」

 浩瀚は、黙って微笑んでいた。



 枯れると真っ白になる突抜忍冬の蔓。その蔓に隠れた凌雲山の洞の中で、陽子は自分の大切なものを見つけた。 その、きっかけとなる赤い花、その花言葉が、『愛の絆』だったなんて。

 運命があるならば、それを感じて良いのかもしれない。陽子はそう思った。



「すいかずらの花は色々とございますが、この赤い花は特に突抜忍冬と呼ばれるのです。それはご存じでしたでしょうか?」

 陽子はふわりと笑った。黙って首を横に振る。

「こちらの、赤い花のすぐ下の葉をご覧下さい」

 二人が立っているすぐ脇の崖から、浩瀚は一房の赤い花を持ち上げると、陽子の側まで、蔓に無理が行かない程度に引いてくる。

 その葉は、蓬莱で言う「ハート」の形をしていて、なぜかその葉の真ん中から、茎が伸び、その先に赤い花が付いているのだ。

「いや、気づかなかった。なんて珍しい咲き方なんだろう。いや葉が珍しいのか?」

「むかしは、この忍冬の花も、左右に二枚普通に付いている葉から伸びた花芽が咲いたそうです。 それが、いつのころからかこの向かい合った二枚の葉がくっついて混じり合い、一枚の葉になってしまったようです。 その真ん中を貫いて花芽が出るので、突き抜き忍冬と呼ばれるようになったそうです」



 感心して話を聞いた陽子は、ふと気が付いたことを口にする。

「この、花芽の下にある、茎に貫かれた葉。こころの形をしている」

「心? でございますか?」

「うん、蓬莱では、良くこの形が心を表すとされていた」

「左様でございましたか」



「心を貫いて、咲くんだな。愛の絆は」



 今度は、浩瀚が言葉を無くした。

 まさに、今の私ではないか。いや、最初から私は主上に貫かれていたような気がする。



 雲海の上の空も、青く輝いている。

 二人は、黙って風に吹かれていた。

 揺れる、ゆれる、赤い花。

使令たちの座談会

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