第十二節




 ほんの少し、時をさかのぼる。



 膝を抱えて横穴の奥にじっとしていた陽子は、たった一人で取り残されたような感覚を持ち、不安を抱えていた。

 しかし、それはしばらくして、大きな間違いであることに気がついた。

「私は、もともと一人じゃないか」

 班渠を戻し、今日は帰らないと言った。一人で残ったのは、自分の意志だった。

 なんだ、そんなことも人のせいにしようとしていたのか。



 思えば、こちらに、十二国の国を持つ常世に渡ってきてすぐのころ、あちらへ、日本へ帰りたくて仕方なかった。その日本にも、実はこだわるような物は何もなかったのに。

 それでも、十六年間過ごしてきた場所が、忘れられなかった。

 仲が良かったとは思えない父と母。しかし、その実、私の前で、喧嘩などしたことがなかった。

 いや、あるわけがない。私の母はいつも父に従っていたのだから。



 でも、父と母の望むところが、いつも同じというわけではなかった。だから、私は両方の望むとおりにしようと、随分と矛盾だらけの生活をしていたような気がする。

「自分」というものが、ひとつも無かったんだ。



 こちらの世界へ来て、景王となった後も、登極してすぐの頃は、右も左もわからなかった。とにかく、玉座に治まっていないと国が荒れると思っていた。

 がんばっていたつもりだったけど、やっぱり、人の目を気にして、自分の思いがなかったんだ。いつも、胎果だから、女王だから、という視線におびえていた。



 拓峰の乱、あれは初めて私が自分の意志でやろうと思った事だった。あの事件を通して、信頼できる仲間も見つかった。



 そして、今まで来た。

 がんばったと、思っていた。でも、私がこの国をまとめた訳じゃない。みんな、それは国王の仕事ではなくて、官吏の仕事だって言うんだろう? 

 でも、じゃあ私はいったい何なんだ?



 浩瀚、優秀な官吏だ。

 私の右腕だと言ってくれる人もいる。

 でも、この国を回しているのは、実際彼じゃないのか? 

 実力のある、心のまっすぐな、そう、素敵な男(ひ

 私は、浩瀚のことを、好きなんだ、きっと。

 でも、だめだ。彼のことを考えると、何も手に付かなくなってしまう。

 考えが、空回りしてしまうんだ。

 慶国の事なんて、どうでも良くなってしまうような気がして。

 何なんだろう? このむなしさは。

 浩瀚は、きっと私が何か言えば、何でもしてくれるんだろうな。

 恋人にだってなってくれるに違いない。

 そう、私がそう願えば。

 何しろ私は「王」だから。

 どんな願いを言ったとしても、私の望むような答えを出してくるだろう。もしくは、私のあるべき姿を教えてくれるのだろう。

 国王としてのあるべき姿。

 まるで、私が自分で気がついたような、そんな方法で。

 彼は、頭がいいから。



 そのかわり、私が「王」である限り、浩瀚の本当の気持ちはわからないかもしれない。



   いやだ。

 本当のことは何もわからないじゃないか。

 私はもう、疲れた。



「禅譲しよう」

 そう、決意を新たにした陽子の目の前を何かが通り過ぎたような気がした。



 鳥や虫では無さそうだ。もっと大きな何か? まさか、妖魔?



 ついさっき「禅譲しよう」と思っていたにもかかわらず、陽子は、また慶に妖魔がはびこるようになってしまったのかと心配する。



「私の……せいか?」

 陽子は、そっと翠緑の瞳を穴の外に向ける。



 穴から見える空はそれほど大きいわけではない。そんな空にも、上弦の月が傾いて見えた。

「もう、そんな時刻になるのか?」

言って、禅譲する身には時刻など関係ないな、と自嘲気味につぶやいた。

 その陽子の前をすいっと大きめの影が、また、通り過ぎていった。



「浩瀚?!」



 陽子は、息をのむ。

 一番来て欲しくて、一番来て欲しくない人だったからだ。



 思わず、洞の中で後ずさった。穴はずっと奥まであるわけではない。すぐに一番奥の岩壁に背中が当たった。

第十三節

浩陽三部作ページに戻る