第十一節




 浩瀚は、吉量にのって空を翔けた。らせんを描きながら、少しずつ禁門の下方へ移動していく。

 麦州は、瑛州の西側に当たる。

 浩瀚は、禁門の直下から少し西側の方へ吉量の馬首を落ち着かせるようにたたきながら移動した。

 落ち着くべきは自分であると言うことは失念していた。



 夜は更けて、上弦の月が西に傾く。

 満月でも新月でもなく、ちょうど半分になった月が、何をどうするべきか迷っている自分の心を表しているようで、浩瀚は、顔をゆがめて笑った。



「主上を探さなくては!」

 これだけが最低限のやるべき事であった。



 浩瀚は、良く吉量を操り、崖に沿って飛んでいたが、満月の半分程度の月明かりでは、とても細かいところまで確認できない。 主上が潜んでいる洞はどこにあるのだろうと、その目を凝らしていたのだが、なかなか発見できなかった。

 しばらくして、崖が全体的にぼうっと光っている所を見つけた。 どうやらそこは、光を発しているのではなく、元々の色が白い何かが、ふわりと浮かぶ半分の月光を反射して、ほんのり輝いているのだと言うことがわかった。

 白茶けた崖の色と妙に合っていて、暗い闇の中に暖かなぬくもりの灯火が、置いてあるようだ。

 そのぼうっとした光の中に、浩瀚は、深い闇が隠されているのを見つけた。

「まるで、黒い穴が空いているようだな」



 待て? 今、自分はなんと言った?? 黒い穴だと?

 使令の班渠殿は、こんな風に言っていなかったか? 確か崖に空いた洞の中に主上はいらっしゃると?



 まさか?!



 浩瀚は、酷く胸がきしんだ。早くお会いしたいという思いと、会ってどうする? という思いが、頭の中で火花を散らす。

 そのとき、浩瀚は確かに、その真っ暗な闇の中に、緑色の瞳が光ったような気がしたのだ。



「主上!」

 唇を噛むと、浩瀚は、その穴の近くに吉量を寄せよう試みた。

 なかなかうまくいかない。

 大きな弧を描いて吉量を翔させる。その円弧の一点が、崖に空いた穴になるように、用心深く、しかし力強く、吉量を操る。

 穴まで、あと二丈と言うところまで、近づくことができた。しかし、止まることがどうしてもできない。通り過ぎるさなかに、浩瀚は何か奥でうごめく気配をとらえた。



「主上に違いない、くそ!」

 思いがけなく乱暴な言葉を発した自分にやや驚くと、意を決して、真っ正面からつっこもうかと考えた。

 しかし、その崖に空いた洞の口は、浩瀚を載せたまま吉量が入り込めるほど大きくはないのだ。



 どうするか?



 浩瀚は穴のすぐ近くまで吉量を翔させ、その勢いで跳び移ることを考えた。

 かなり危険だ。

 うっかりすると、自分も吉量も崖に激突してしまうだろう。

 それでも……



 浩瀚の中で、何かがはじけたような気がした。

 温厚篤実、沈着冷静、怜悧な相貌と評された「時の冢宰」は、一人の少女のことで頭も体もいっぱいいっぱいであった。

 もちろん、その少女は国主なのだが。国主が気になるのか、少女が気になるのか、浩瀚は、その命題についても迷っていた。



 やるしかない。



 いつもなら絶対に導き出されない結論だった。

 浩瀚は、吉量の太い首を数回、優しくたたいた。

「主上に会いたい、頼む」

そう言った。



 吉量は、細かい人語を解するわけではないが、このときは、まるで浩瀚の心を見透かしたように、すうっと岩壁の穴を正面にして向きを調整しながら、速さを保って直進した。

 浩瀚は、手綱を放さないように気をつけながら、吉量の背に膝をつき足をかけた。体は低く保っている。



 崖が迫る。

 吉量は、本能に基づいて、崖にぶつかる前に右か左に体をひねって方向転換するはずだった。

 浩瀚は、あとほんの少しのところで、吉量の背を蹴って穴に飛び込むつもりだ。

「えいっ!」

 かけ声も勇ましく吉量の背から空中へと飛び出した。

 崖に口を開けた暗い穴の中に頭から突っ込んだ。

 そのからだが底についたと感じると同時に体を一回転させて、衝撃を拡散させた。



 グワキッ! バヒッ! ブヒヒン! バリバリバリ……

 外で、妙な音がした。



 その音を聞きながら、浩瀚はしばらくじっとしていた。 酷い痛みや、打ち身はないようだった。受け身をとったとはいえ、地面にぶつかっているのだから、慌てて動かないほうが良いと判断した。

 やがて、妙な音はすぐに静まる。あたりは闇に覆われて、入り口がほのかに外との境目を作っているだけだ。



 そして改めて、穴の奥を凝視する。



 そこに、自分の両手で自分の胸を抱き、縮こまるように体を丸めながら、上目遣いに大きな目を開けてこちらを見ている人物の影を認めた。

 ほんのわずかな明かりだったが、浩瀚にはそれで十分すぎる明かりであった。

 

第十二節

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