「陽子~、ようこ~。変ねえ、いったいどこに行っちゃったのかしら?」
「あら、鈴。どうしたの?」
ここは金波宮、正寝の奥。
景王が私的に過ごす場所。
正寝の入り口近くに執務室はあるが、この二人の少女が忙しく働く所はもう少し奥まったところになる。
現景王は、花が好きで、色々な花がここ正寝の庭にも植えられていたが、今が一番綺麗な季節だろう。
ありとあらゆる花が一斉に咲き出したようだ。牡丹やしゃくなげ、つつじ。月季花、てっせん、芥子、おだまき、数え出すときりがない。
雲海の上の日差しは穏やかだったが、時は初夏を迎え、体を動かして働いていると、汗で皮膚がじっとりと湿ってくる。鈴と呼ばれた少女は、手巾で額を拭った。
「陽子ったら、さっきまで執務室にいたと思ったのに。ねえ、祥瓊? 陽子を見なかった?? せっかく入れてきた花茶がどんどん冷めてしまうわ」
ふう、と小さなため息をつく少女に、紺青の髪を持つ祥瓊と呼ばれた娘が、声をかける。
「変ねえ。私も、さっきは執務室にいたのを確認しているのよ。だいたい陽子の用事で、この参考書簡をそこの書庫から持ってきたんだから」
両手で巻物の書簡を手にした女史、祥瓊は、優雅な仕草で卓のうえにその書簡を下ろした。彼女は有能な陽子付きの書記官だった。
「まあ、どうしましょう」
鈴が、茶器を盆にのせたまま途方に暮れる。祥瓊は、ふと小首をかしげる。
「ねえ、鈴。今日は陽子に誰が付いていたかしら?」
「虎嘯じゃなくて?」
「違うわよ、台輔からどの使令をお借りしていたか、ってこと」
「ああ、班渠だった気がする」
そう言った鈴を見て、祥瓊は自信ありげな表情で、
「あら、わかったわ」
そう言ったのだ。
「何が?」
鈴は、素朴な疑問を抱く。祥瓊は先を続けた。
「班渠が陽子に付いているときに限って、陽子はどこかにふっといなくなるのよ。
前回はいつだったかしら。きっと班渠でなければ行けないような所まで出歩いているのよ」
「ええ? じゃあ、禁門から出て行ったの?」
「ううん、そうねぇ。そう言うことになるんじゃないかしら?」
「まったくもう、陽子ったら。ひとこと言ってくれれば、私だってばたばたお茶の用意をしたりしないのに」
「ふふ、本当よね。私にご丁寧に用事まで言いつけて出て行くのだから、計画的だわ」
「あら、祥瓊。ほんと、計画的犯行ね?」
「そうね」
「「うふふふふ……」」
少女二人の含んだような、しかし明るい笑い声が響く。
「仕方ないわ、お茶、無駄になってしまったわ」
「そうね。まだ戻ってこないわよ、きっと」
「ねえ、祥瓊。このお茶、もったいないから飲んでしまわない?」
「あら、そうよね。このまま捨ててしまっては、慶国の予算を無駄遣いしていることになるわ」
「まあ、祥瓊ったら、すっかり陽子の口癖が移っている!」
「あら、鈴。お金は大切よ」
「はいはい、わかったからそこに腰を下ろして!」
二人は、からからと笑いながら、園林に降りて日陰になっている大きな石に座った。
「ああ、おいしいわ!」
「ね、鈴。やっぱり捨てないで良かったでしょ! 私たちきっと陽子にはほめてもらえるかもよ」
「そうね、無駄はいけないわ」
「「うふふ、うふふふ……」」
小さな花、大きな花、目立つ花、控えめな花。花という花が咲き、青葉が濃くなるこの季節、二人の少女は思っても見なかった休憩時間に話を弾ませた。
最も、その楽しい時間はもうすぐ終わりになるのだが、今しばし二人のたわいない会話は続いてゆく。
「ねえ、鈴。夕暉は今度いつ頃こちらへ来るの?」
「そうねぇ、大学の允許がいくつか取れたら、休みには戻ってくるって言ってたわ」
「あら、そんなこといつ教えてもらったのかしら? 夕暉はこのところこちらにはきていないはずなのに??」
「いやあねえ、祥瓊。文をいただいたの!」
「まあ、うらやましい!」
「あら、祥瓊こそ。毎晩、左将軍がたずねてくるじゃない?」
「毎晩じゃありません!! 昨日だって一昨日だって、来てないわよ!」
「でも、昨日はお昼に会ってたでしょ? 一昨日だって八つ時のお茶の時間に、陽子にわざわざ用事を作ってもらって禁軍まで用足しに行ってたじゃない」
「あーら? そうだったかしら」
改めて二人の少女はお互いを見つめ合い、片手を口に当ててくすくすと笑った。
たわいない会話が、幸せを運んでくるようだった。二人とも、伴侶とまでは行かなかったが、愛しい異性を思って自然に笑みがこぼれる。
「陽子も早く、こんな風に一緒に話ができると良いのだけれど」
「本当よね」
笑みが今度はため息に変わる。二人の少女は、自分たちの主でもあり、親友でもある現景王の思い人のことを考える。
「確かに、あまりほめられた相手ではないかもしれないけど」
祥瓊がつぶやくと、
「ええ、確かにそうかもしれないわ。でも、人物としては申し分ないのよね」
鈴も、そう語った。
二人は長いこと陽子の側にいて、陽子が誰をどのように思っているかをよく知っていた。
そして、その相手も陽子のことを憎からず思っているであろう事も知っていた。
ただ、王と臣下、それも臣下筆頭、百官の長という立場では、堂々と恋人同士になることは難しいだろう。
「私たち、いくらでも協力するのに」
「そうよね、何とかならないのかしら」
日差しのきつい空を見上げ、二人は首を横に振った。
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