冢宰、空を疑う





「お疑いの様ですので……」

 そう言いながら、空は和州でくらしていた時の職業を明らかにしていった。
 空は、自分が勤めていた妓楼の名前を覚えてはいなかった。 そんなことにはほとんど関心が無かったのだろうと、自分の中で振り返りながら不思議に思っていた。
 浩瀚と桓たいは、興味を持って空の話を聞いていたので、 空も、できるだけ細かいところまで伝えようとした。
 浩瀚は、元勤めていた妓楼の名が解れば、 そこからの推薦状を捏造することができそうだと踏んでいた。 今現在無くなってしまっているなら、さらに都合が良いと思った。
 空の話は、しだいに呀峰の妾であったことにも触れてゆく。 それを聞いた浩瀚はますます空と言う海客から不可思議な感触を受けたのである。

 ちょうどその時、満月が昇ってきて、太師邸の庭を覆う木々にも淡い光を差し込ませた。

「今の話、太師はご存じだったのか?」

浩瀚は信じられないと言う顔つきで空に尋ねた。

「はい、お話させていただきました」

浩瀚はそれを聞いて額に右手指を当てて目をつむる。そして桓たいの方へ向き直った。

「桓たい」

「はい、何ですか浩瀚様」

桓たいは、空もずいぶん苦労していたのだなどと思っていたので、浩瀚が何を言おうとしているのか興味がわく。

「うん、呀峰と言う男を知っているかね?」

軽く眼を見開くと、

「呀峰ですか?」

と、聞き返した。浩瀚は黙って首を縦に振る。

「そりゃあ俺たちは明郭にいましたから、噂くらいは知っていましたよ。 豪胆で暴力的な所ばかりが広まってはいましたけれど、呀峰は結構神経質だったように思いますね」

「ほう、やはりな」

「へ?浩瀚様もそう思っていらしたんですか?」

「ああ、街の作り、特に城下の土地に非常に高い税金をかけて、 一部の豪商しか住めないような構造にしたところがね。そういった政治手腕は、見事だと思ったよ」

「まあ、高い税金をすぐさま払えるような輩は、 皆呀峰の機嫌を覗うようなやつばかりでしょうからね」

「そうだな、敵を自然に遠ざけることができる。 近くに住む者の数を減らしただけでも、ぐっと監視は楽になるからな」

「足元からひっくり返るのが一番怖かったのでしょうね」

「そうだな」

「ま、足元からひっくり返しましたけどね」

「ふむ、主上のおかげだよ。本当にひっくり返ったのだからな」

「まったくです」

 空は、二人の話をじっと聞いていた。紙一重のクーデターだったのだろう。
 空は、呀峰の持つ軍事力はそれほど低くは無いと見ていた。 しかしながら、実際に少なくとも数日は、明郭で反乱を起こした元麦州軍らは、 呀峰と互角に戦っていたのだから、 浩瀚たちの軍、柴望率いる明郭反乱軍も決して弱かったわけではないのだ。
 結論からいけば、そう、呀峰は戦に負けたわけではない。 禁軍に捕らえられてあっという間に和州城からいなくなってしまっただけなのだ。

「空?」

浩瀚が声をかける。空は黙って今一度深く跪礼した。

「呀峰には夜伽もしていたのかね?」

「はい」

躊躇なく答える空を見て、さらに尋ねた。

「愛されていたと感じていたのか?」

その問いには、空はしばし考えていた。

「私には、そう言った感情はよく理解できません。 しかし、他の姫たちよりもお訪ねいただくことは多かったようです。 襦裙や化粧道具等、細かいものはいくらでも高価な物をいただくことができました。 また、他の方には秘密にしておくような来客の接待をお受けしたこともございました」

そう答えていた。

 どうやら、妾だったことは本当らしいと浩瀚は思った。

「桓たい、呀峰に正妻はいなかったんだな?」

「はい、そこいら辺は調べてあります。 当時妾は三人、空だけは秘密にしていたようで、我々が知ることはできませんでした。 あいつは性格が悪いですよ。自分に逆らう者を無理やり妾にしていたようですから」

「ほう、好みの女を侍らせるわけではないのか?」

「はい、昔は知りませんけどね。そういう時代もあったかもしれませんよ。 しかし、俺たちが事を起こそうとしていた当時は、 苦しんでいる民人を何とかしようという商人なり豪農なりの家族が妾になっていることが多かったようです」

「とんでもない奴だな」

「まあ、そうですね」

 改めて、浩瀚は海客だと言う空を見る。 目立たない顔立ち、少年の様な体つき、気配のなさ。 女の匂いすらないのではないかと言う空の雰囲気に、呀峰はなぜ空を妾にしたのか不思議だった。 空の話を聞く限り、空は自分の方から積極的に誘惑しようとしたわけでは無いらしい。 浩瀚としては、空の夜伽が、技術的に特別うまく、 一度寝たら男が病みつきになるという可能性も考えてはいた。 しかし、空の様な海客がなぜそもそも呀峰の目に留まったのかが不思議だった。 最初から妓楼の客で来ていたわけではないのだから、 いくら海客が珍しいからと言って、 ただそれだけで自分の妾にするような酔狂な人間ではないはずであった。

――まさか、空が、呀峰を自分に手を出させるように誘導したと言うのか――

それこそ信じられなかったが、そう仮定するのが浩瀚自身一番納得できる状況設定であった。

「ふうむ」

黙り込んだ浩瀚を、桓たいは不思議そうに思い、 空を妓楼へ潜入させるという考えを、確認するように問うていた。

「あまりよい考えでは無かったですかねえ? 空に妓楼に潜入させる等と言うのは」

「いや、そんなことは無いのだが……桓たい、お前女は行けるのか?」

「はあ?抱けるかという意味ですか? それはもちろん、時と場合によりますが」

「相手が空だったらどうだね?」

「空が良ければ、俺はいいですよ」

「本当か?」

「なんか、浩瀚様くどいですよ。 それは俺にとっても空にとっても、ちょっと失礼じゃないですか?」

憮然とした桓たいの言葉を聞いて、浩瀚は、さらに無心な表情で考え事をしていたが、 やがてふっと表情を緩めると、こう言った。

「ああ、ではこうしよう。空、明日の公休日に私を誘惑してごらん?」

ひぇっと桓たいは小さな悲鳴を上げ、目を丸くする。

「浩瀚さま、本気で言ってるんですか?」

「もちろんそうだが?」

「空、お前はそれで良いのか」

桓たいは、本当に心配そうに空に確認をとる。返す空は、

「それでは、何を持って冢宰を誘惑できたと解すればよろしいのですか?」

淡々と聞き返してきた。恥じらいや照れは全くないのか?  無いのだろう、感情が無いと言う心の病はそういうことなのだから。

 浩瀚は少しの間思案していたが、

「そうだね、では私がお前を抱き締めたら、誘惑できたと解釈しなさい」

「抱きしめたら、でございますね?」

「そうだ」

桓たいは怪訝そうな顔をして、二人を見ていた。

――また、浩瀚様はいい加減なことを。 空の様子を見て、納得がいったら抱き締めるつもりなのか?  空も浩瀚様にいいように動かされているような気がするが。 嫌なら嫌と言ってもよいものを――

あきれたような顔をして、浩瀚の顔を見た。浩瀚と言えば、桓たいの顔を見て薄く笑っている。

「では、冢宰のご下命を全うするべく、ふたつ許可していただきたいことがございます」

空の方は、さらに事務的に浩瀚に要求を出してきた。

「なにかね?」

「雲海の上を、明日の夜までで結構ですから自由に動くこと、 使用していない物を貸していただくことを許可していただきたいのですが」

「もちろん、他の人間に気付かれないで、ということだね」

「はい」

「許可しよう」

「ありがたき幸せ、ではお約束を果たす場所は?」

「昨日桓たいと酒を飲んでいたのを知っているね」

「はい」

「あそこで待とう。そうだな、亥の刻には待っているとしよう。桓たい、付き合ってくれるか?」

「見届け役ですか? なんだか損な役回りの様な気もしますが」

「なんなら、お前と変わろうか?」

「いいえ、結構です」

くすりと笑う浩瀚に、なぜか桓たいはいささか腹が立った。 憮然とした桓たいを見て、浩瀚は表情を崩す。

「いや、お前と違ってね桓たい。 やはり信じられんのだよ、空が妓楼で働いていたということがね。 確かに海客の若い女が常世に流されてきてすぐに働くことができると言ったら、 今の慶国では妓楼ぐらいしかないかもしれない。 しかし、今の今まで男だと思っていたのだからね」

「いや、解りました。とにかく空、頑張れと言うのも変だが、冢宰の疑いを見事晴らしてみせてくれ」

「委細、承知いたしました。では、晩までに準備させていただきたいと存じます」

「ああ、下がってよい」

浩瀚がそう言うと、空はふっとどこかへ消えて居なくなってしまった。

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