庭師の空





 空は、それからは庭師として太師邸の樹木花々を管理する仕事をこなしていた。
「どうやら、陽子は草木が自然に育っていくさまが好きなようじゃ」
太師は、空に向かってそんな言葉をかけたりした。空は命令ではないが、検討する情報として受け取る。

確かに、凌雲山の上では整然と木や草が植えられ、 春夏秋冬それぞれに美しさを競うことができるように植物が植えられていることが多い。 空は、太師の話を噛み砕き、自分なりに太師邸を自然な姿へと導く。 虫や小動物も住めるようにと気を配った。 彼らのような小さな生き物は危険を察知することに長けている。 この館に火を放つような不逞の輩が近づけば、空はもちろん、 彼らが先にそれに気付くことだろう。
「なるほど、理にかなっている」
空はある意味で感心していた。
 おそらく、自分が来るまでは、太師はあの桂桂と言う少年と二人でこの館を守っていたのだろう、 空はそう思った。時々、禁軍らしき男が入り口を守りに来ることはあったのだが、どうも毎日ではなさそうだった。
「人手が足りない」
と言うのは本当らしい。いや、人数はいるのだが、信用するに足る人物の数が足りないようだ。

 早朝と、夜遅くに空は自分の仕事をやりきる。 残りの時間は、自分の鍛錬とこのあたりの探索に時を費やした。 食事は太師邸で作られた物を食べる事もあれば、 庭園になっている木の実草の実で代食することもある。 時は夏から秋に向かって、実りの豊かな時期でもあり、何の不自由もなかった。

 たまにではあるが、桂桂が早く寝てしまった時には、太師と常世の学習をする機会もあった。

「空よ」
「はい」
 それは夜も更けたころ、こんな風に遠甫が空を呼び、声を潜めて始まる。
「陽子を見たことはあったかの?」
「主上でございますか?」
「ほう、空は常世の国王の呼び方には慣れておるようじゃな」
「恐れ入ります。主上のお姿は私が初めてこちらに来た日に拝見しております」
「おお、そうであったの。で、彼女は空の目にはどう映る? 感情は無くとも感想は言えるかの?」
「はい」
空は言葉を切り、暫し思案するようだった。
「主上は、私の母に似ております」
「ほほう、それはどんなところが似ておるのじゃ?」
空が身の上話をするのは珍しい。遠甫は興味深く耳を傾けた。

 空は渡部家のことを話しだした。
 彼女の家は、代々暗殺を生業としてる家であった。 その起こりは、今から五百年も前のことだと言われていたようだ。 蓬莱では、関東から少し西の山の中にその城があったと言われている。 当時には珍しく、家業を継ぐのは女性であった。 婿は同じ血縁であったり、外部からよんだりしていたが、 その中で家の柱となるのは女性と定められていた。 当時としては誠に不思議な家系だ。表向きの家業は地主の様なものであった。 領主と言うほど大きい村では無く、山奥であったのであまり知られてはいなかった。
 渡部家の暗殺集団を束ねるのは、一族の長兄である。 暗殺の腕にかかわりなく、渡部家の暗部を受け持ち切り盛りしていた。 そして、一族の長である女性には、渡部家の暗部にはほとんどかかわらせないのが暗黙の了解となっている。 幼いころから、全く別の育て方をさせられていくのだ。 周りの者は、その母に気取られること無く暗殺家業を行わなければならなかった。 一族の長でもあり母でもある女性は、渡部家すべての人間から大切にされていた。
 昔は、金を受け取り暗殺を行う不気味な集団として、恐れられたこともあったが、 時の為政者たちには重宝がられた。 時代が進むに連れ、山から出て都会に住むようになる。 その仕事を隠し、市井にまぎれ、ふだんは普通の人としてくらしているのだ。 現代になってもそれは変わらなかった。
 一族の長は、女性が生まれた時に決められる。 空はもともと長候補の一人だった。 しかし、そのたぐいまれな感覚と身のこなしなど、 あまりに暗殺者としての能力が高かったため、見送られたのだ。
 空は、赤ん坊の時から表情のない子供だった。 泣きも笑いもしない、静かな子であったと成長したのち周りの者に教えられていた。 そんな空も、母にだけは甘えて笑うことがあったと言う。 しかしながら、五歳の声を聞く前に、まず気配を消す事が天才的であること、 運動神経がものすごく良いこと、さらに記憶力が非常に優れていること、 百年に一度の逸材と父親から太鼓判を押されてしまうのだ。そして類稀なるスナイパーに育っていく。
 感情を表すことが無い空を、父親や長兄は殺人マシンにするべく教育していった。 しかし、それも空には何とも感じられなかった。 唯一彼女が求めたのは、母を満足させることだった。空は、母だけは絶対に守りたいと思ったのだ。 長い間続いた血の濃さが、感情が無い空にもそういう思いを起こさせるのか、 それは解らなかったが、母を守るためなら死んでも良いと、何の疑いもなく思っていたのだ。

「なんとも不思議な話じゃの」
「左様でございますか?」
「ふむ、それでそう言った影の仕事をしてきたのじゃな」
「はい、蓬莱では現在は人を殺める依頼は少なくなりました。 情報収集などが仕事の中心になってきているようでした」

遠甫は、今まで何人手にかけたか訊ねようと思ってやめた。もう今は関係ない話だろうからだ。

「それで、陽子は空の母に似ていると?」
「はい、雰囲気と言うか、カリスマ性とでも申しましょうか。 主上のためなら何でもして差し上げたくなる、そんな感想を抱きました」
「ほう、それは良かった。陽子は神仙じゃからのう。 空の言う、かりすま性、と言うのはそういうことかもしれんの」
遠甫は、空の直感を有難く思い安堵して、改めて陽子が王であることを思った。

「それでは空、そちは蓬莱と常世をどう感じておるかの」
「蓬莱の常識が通じません。」
「そうじゃな、主上もそう申しておった。空は何が一番不思議に思うたかの?」
「蓬莱では、あらゆる生き物には同一の起源があるとされております。 はじめごく小さな命がだんだんとより集まり大きくなって、 それぞれの役割を分担し、さらに大きくなり、 どのような環境でも生きることができるよう多様に体を変化させ、 人にいたると考えられております」
「ほほう」
「ところが、こちらではいのちは卵果に生る……」
「そうじゃな」
「蓬莱では、すべてのものに共通の法則があると考えられております。 その法則に合わない事象があれば、法則そのものが考え直され、 新たな、もしくは古い法則の上に立つ法則が発見されたり、発表されたりするのです」
「それは、常世にもあることだが」
「そうですか、ではその法則がずいぶんと異なるようでございます」
「なにか、たとえを示してもらえるかの」
「はい、蓬莱では重力という考え方がございます」
「法則じゃな」
「はい、ものにはすべて重さがある」
「常世にもあるじゃろう」
空は、どこか寂しそうに笑った。
「はい、そして重さあるものはすべて、お互いに引き合っているのです」
「ふむ」
「それはどんな軽いものでも引き合っているのです。 ですから、このように大地に物は落ちていきます」
空は、自分の持っていた小石を落として見せた。カツ―ンと良い音がして、その小石は床に転がる。
「蓬莱では、この落ちていく力がそのものの重さによって決まっております。 つまり、落ちないように飛んでいるためには、この力に逆らって別の力を働かせなければなりません」
「ほおお」
遠甫は、しばし目を瞑り空の言葉を反芻してみた。 あまりぴんとこない言動であったのだが、 それは顔に出しては空がかえってつらいだろうと、 何気ないふりを続けていた。空は本題を語りだしたようだった。
「ところが、常世にはそういったこととは関係なく空を飛ぶ生き物が存在いたします。 妖魔と呼ばれる生き物がおりますね」
「空は、妖魔に出会うたことがあるのじゃな?」
「はい、蝕でこちらに流されて初めて見た生き物が妖魔でございました」
「そうであったか。それは難儀であったのう」
遠甫はその妖魔が空の命を助け常世での生き方を示したとは思いもよらなかった。 そして、空もあえて語ろうとはしなかった。
「その、妖魔がどうかしたのかな」
遠甫の問いに空は重力についての考察だけを述べていた。
「大きなトカゲのような妖魔でございました。しかも翼がありません。 翼があってそれによって飛翔する生き物ならば、私もそれほど不自然には思わなかったでしょう。 蓬莱にも大きな翼を持って空を飛ぶ生き物はおりましたゆえ」
「なるほどのう、翼を使わずに空を翔る妖魔は確かに存在するの。 空は空行師を存じておるかの」
「はい、和州の乱の折に見かけました」
「うむ、吉量やスウグは翼は無いが飛翔力は高い生き物じゃの」
「蓬莱では、翼を使わずに飛翔することは至難の業なのです。 ここの生き物が行うに様にはいきません。 総じて、常世にも重力があるとしたら、蓬莱よりもかなり少ないのではないかと思われます。 そうですね、蓬莱の常識が通じないくらいに……」
「なるほどのう」
「もうひとつ。この凌雲山でございます」
「なにか、思うところでもあるのかの?」
「このように、高く細くたっている山は、蓬莱では存在できません。 自分の重さを支えきれないでつぶれてしまいます。 少なくとも、蓬莱とまったく同じ物質であれば立っていることができないはずなのです」
「ほほ〜〜う」
遠甫は興味深くうなった。 空の話は陽子から聞いたものとはまた違う趣を持っており、 常世と蓬莱ではあまりにも違うということをまた突きつけられた思いであった。 遠甫はよく陽子を導き、陽子もまたその思いにまっすぐに答えていると思ったが、 空の話を聞いていると、まだまだ長くかかりそうな予感がした。 幸い、時はいくらでもある。あまりに急かない事じゃな。遠甫は一人得心していた。
 空は、ずっと不思議に感じていたことを言葉に出すことができ、 それが遠甫に受け入れられていることを確認して、いくらか落ち着くことができた。 和州にいたころは、自分の環境もさることながら、 こんな話しをしようとすら思うことは無かったのだから。

「太師、私は自分の意味を見つけたいのです」
「意味とな」
「柴望様には大変お世話になり、感謝を表す言葉もございません。 しかし、私がこちらへ渡ったことは、 今となっては何か意味があるような気がしてならないのです」
「空よ、先ほどとは顔つきが変わったようじゃ。 なにか納得のできることがあったかの。 常世は、そなたには、居心地のよい場所かどうかわからぬが」
「わかりました。これからもどうぞよろしくお願いいたします」

 夜は更けて行く。空が常世に流されたことに理由があったかどうかは解らない。 しかし、この後、空は否応なく金波宮の濁流に飲み込まれていくことになるのだ。

 最も、心に病を持つ空にとっては何の不安も寂しさも憤りさえも感じることは無かったのだが。