襲撃





「おい、定刻だ。代わろう」
さりげない声、ごく普通の兵服、特に何も特徴のない男。一兵卒が、自分の正面にいるこれまた平凡な男の肩に、 ぽんとこれもごく普通に手をかけた。
「ああ、もうそんな時間か。よろしく頼む」
「おう、しっかり休んでおけよ」
「もちろんだ」
 そう、今宵もまた彼らは見張の仕事に就いている。何も特別なことはない、はずである。 この目立たない男たちは、鍛錬を積んだ者がその目で観察していけば、剣も体術もかなりの使い手であることがわかったろう。 中肉中背の背格好、どこにでもいるような一見穏やかな顔立ち。 しかし、その筋肉の付き方がたいそうしっかりしていて、足の運びにすきがない。 さらに、使い手であるだけではない。ここ和州に長く務めたものであるならば、誰もが首をかしげる、 あるはずのない兵卒同士の「会話」。これが実はそこいらの和州兵でないことを際立たせているのだが、 それは当の本人たちは気付いていない。

 ここ和州では、ついこの間まで呀峰という男が州侯を務め、政務をとり行っていた。 彼は、大きな野望を持っていた。その野望をかなえるために過酷なまでの税制を敷き、 自己資金を得るために民人を絞り上げていったので、敵も多かったのだ。 自分に逆らうものをいろいろな方法で葬っていった。 そんな呀峰が城内で厳しく取り締まったのが、私語の禁止だ。 内殿では、一定以上の位を持った官吏でなければ、決して言葉を発してはならなかった。 最も、このころの十二国はどこの国でも、内殿で私語を慎しむのは当たり前のことだった。 それはもちろん、多少お国柄もあってしつけの緩い厳しいはある。 ともあれ、位の低い者たちに私語を禁じたところで実質不便はないのだ。
 ただ、この和州では呀峰の耳に入るような場所で下男下女が余分な話をしようものなら、 うっかりすると死罪になった。これほど極端な刑になるのは、おそらくここだけであろう。

 そんな中、新しい州侯として赴任してきた柴望は、それまでにあった、 呀峰の作った和州における法律について、当初それほど変えるつもりはなかった。 しかしながら、まさか内殿で話をしたくらいで重罪に処していたとは考えもつかなかったので、 桓たいから預かった彼の丈身たちに私語を慎まないと目立ってしまうというような注意はしなかったのである。

 その彼ら二人の丈身たちが、見張りを交代するついでに、和州城内殿の感想めいたことを話していた。
「しかし、不気味なくらい何も無いな」
腕組みをして、思案顔の片方が言った。
 和州に州侯として赴任した柴望を守って一週間ほど過ぎた。あれほど麦州ともめた和州だ。 いざこざがあっても無理はないのだが、表立った抵抗はもちろん、狼藉や誹謗中傷のたぐいも見当たらない。もう片方が、
「うむ、油断するなよ」
といいながら、すでに暗くなっている園林に視線を走らせる。
「わかっているさ、任せておけ」
そう言って笑うと、仮眠部屋のほうを指さして、早く行けというように目くばせする。
「では」
何事もないのだから、そのようにふるまう。まるでそう確認したいかのように、 交替した柴望の丈身は、ごく普通の足取りで寝所へと戻っていた。

 というように、今夜もここ、和州の州侯執務室前では、見張り番の交代が行われていた。 雲海の上なので、ひどく寒くはなかったが、日が落ちれば吐く息は少し白い。 人がいることを隠そうと思ったら、息遣いまで気を使わなければならないはずである。

 兵卒のいでたちではあったが、彼らはみな柴望の個人的な丈身である。 州侯としての執務はまだ本格的ではなく、柴望は毎日州城内の主だった官吏に会い、 あいさつ代わりに人柄を観察することから始めていた。

 丈身は五人、常時四人は柴望の近くにさりげなく配置されている。 一人はすぐそばに、一人は執務室入口近くに、今一人は裏手に、四人目は外回りを巡回していた。 五人目は休養を取り、誰もが疲れ切ってしまわぬように配慮していたのだ。
 また、柴望が赴任するに当たっては、内殿で働く下男は最低限の人数を残し、 あとの者は配置換えをして、内殿より外に追い出してしまった。 食事と簡単な掃除以外はまだ、必要無かったのだ。着替えなど身の回りを整えるような立場の者は、 敢えて置かなかった。しかし、下男の身元まで確認している暇はなかった。 初日に、柴望自ら当面内殿で働いてもらう下男全員の検分を行ったが、 妙におどおどしているほかは怪しい様子はなかったので、そのままにしたのだ。 とりあえず自分たちには近づけさせないようにしよう。そのくらいの用心しかまだできなかった。

 しかし、柴望は手をこまねいていたわけでは無い。
 彼は、州城をめぐりながら、まず手をつけなければならないのは何かを考えていた。

――民人が一番苦しんでいるのは、めちゃくちゃな税制と、過酷な賦役だろう。 しかし、いきなりすべてを主上の言う通りにすれば、官吏が仕事をしなくなってしまうな。 とりあえず七割の取り分を五割程度にしよう。官吏の反対が大きければ六割でもよい。 賦役も、いきなりなくしてしまうよりは、あのわけのわからん歩哨を整理するのに働いてもらえば良い。 他もいろいろあるだろうが、まずはそんなところか?――

 柴望は、できるだけ極端な変化は抑えようとしていた。人が足りないのだ。 本当なら、自分と気心の知れた文官を連れてきて、相談しながら和州の政務をとりたかったが、 それをやる暇もなく、また無理にやってしまえばかえって和州に住む人々に誤解を招くような気がしたからだ。

 ――主上のお話では、和州にもこの現実を憂えている民人がたくさんいるとのことだった。 城内の官吏たちでもそういうものがいるかもしれない。いささか甘いような気もするが、 浩瀚様や私たちも、「こんな国」と思っていながらあきらめずに戦ったのだから、 表向き呀峰に従っていても、心情はそうでない者もいるに違いない。 浩瀚様は未来を信じていたからこそ、今の主上と巡り合うことができたのだ。 天帝のお導きをおろそかにはするまい。――

 胸の内は色々あったのだ。とにかく、柴望たちが和州に入ってから何日かが過ぎて行った。

 ところで、この和州城をいただく凌雲山にも、多くの隧道があった。 どうやらこの十二国ができたころからあるらしいのだが、それは定かでは無い。 公に利用しているものもあり、州侯が私的に利用したものもあり、誰にも知られずに残っているものもあった。
 そんな中で、大昔使用していた跡があるものの、現在は全く使われていない隧道がいくつか、 内殿の奥にも存在していた。

「集まったな」
密やかに声をかけたのは、州師のなかでも上官のような身なりである。黙って頷く影はざっと十五、六人。
「お前たちも知っているように、今度州侯に就任したのは麦州出身者だ」
溜息とどよめき、何人かの鋭い眼光。
「中央はいったい何を考えている!!」 そうだ! その通りだ!! という低い声がいくつも聞こえた。

 意外と思われるかもしれないが、呀峰のとった政策は、下級の者に対して締め付けるばかりではなかった部分もある。 たとえば州師に属している者への待遇は実際悪くはなかったのだ。 呀峰にとっても子飼いの軍隊が自分の言うことをきかないようでは困る。 頑張ったものには報酬を、能力のあるものには高い地位を施していたのだ。 他でもやればよかったのに、と思われるかもしれない。 しかし、いかに米どころで商業地の和州でも、貧しさからは逃れられなかった。 そういうところで、どうしても中央の権力に返り咲きたい呀峰は、冢宰への道を心に描き、 軍隊にだけは予算をかけたのだ。

 禁軍には、主上の命を絶対とするものが多く残っていたように、 和州州師には州侯の命は絶対という者が多くを占めた。 その中でも、州侯が新しくなったからといって、簡単に「はい、では新しい州侯の命に従います」と、 切り替えられるものばかりではないことは事実だった。 しかも、今まで敵として戦っていた相手が州侯になったとなれば、冗談ではないというのが本音であろう。
 しかし、中央からの指示は絶対だ。もちろん新しい州侯の赴任は陽子の命であったのだが、 このころの和州では、中央の命は、国王の命というよりは、後押しをしている靖共の命だと解釈されていたのだ。 だからこそ、表立って反発することができない。 呀峰は心の中では自分が靖共にとって代わろうと思っていたようだが、 それをどの部下にも話していたわけではない。知っていたものはごくわずか。 昇紘とそれこそ隣で寝物語を聞いていた空ぐらいであったかもしれない。
 であるから、和州州師はいくらいけすかない州侯であっても表向きは従っていなければならない。 呀峰の新たな命を待つことが、当面の課題であった。 が、どこの世界にも一般的な範疇からはみ出すものが出てくる。 それがこの人知れず内殿奥の隧道に集まった兵たちであったのだ。

「行くぞ!」
小さな、しかし決意のこもる声が隧道の中を這うように伝う。 答える言葉は何もない。静寂が男たちの周りを包む。蝋燭のほのかな灯りは次の瞬間吹き消された。

 隧道の入り口はかなり狭く、人一人がやっと通りぬけられる程度だ。 高さも低く、常時は枯葉や木の枝で隠されていてわからない。 専門の庭師が手入れをしていたころは、よく知られていたのだが、 そういった役職は呀峰は好まなかったので、長い間この隧道は知られずに来てしまった。 外に出れば、月明かりがまぶしいくらいだった。雲海の下はどうやらひどい嵐になっていたらしいが、 ここではそんな事を気にするものはいなかった。
 男たちは三つに分かれ、異なる方向へ動き出す。しかし、誰もが目指す方向は、州侯の執務室であった。

   和州の州侯執務室は、他の多くの建物と同じように、凌雲山の崖にある雲海に突き出した棚のような部分にある。 正面は広く平らな白洲のようになり、簡単な季節の催しなどが行われる。 呀峰の場合は、政敵を公に裁くために大勢の州官をわざわざ呼んで自身が詮議したりするのに使われたりもした。
 その周りには、手入れの行き届いた園林が広がりその端はやはり崖になっている。 雲海はその下にある。崖に打ち寄せる白い波が、昼間には結構下のほうに見える。 執務室はこの凌雲山の一番高い所にあったのだ。
 裏手には、凌雲山の頂上を含む最後の崖が切り立っている。雲海の中に浮かぶ島とはよく言ったものだ。

   その裏手のほうに、最初の男たちが近づいていた。 彼らの一人が崖と建物の間にある大きな木に登る。 上り詰めると、ちょうど執務室のある内殿の屋根よりも少し高くなる。そこに陣取った。 そして、矢を番える。ほかの男たちは、裏手に枯枝を集めて火打石を打つ。 よく乾燥しているので炎がすぐに上がった。男たちはどこから集めてきたのか、 かなりの量の枯葉を持っていた。熾した火の上にかぶせる。 一度火は消えたようにみえるが、葉の山にうろを作り空気を送り込むと白い煙が立ち始める。 それは、建物のすぐ下であった。このまま燃え上がれば、床が炎に包まれるのは時間の問題だろう。
 次の男たちは、三つに分かれた中では一番人数が多かった。 ひとまず園林の端までやってくると、その中の二人が、やはり高い木の上に登りだす。 残った男たちは周りを注意深く見まわし無事に二人が登りきるのを待った。 上った男たちは、やはり矢を番えた。
 最後は内殿の入り口近くに進みそこに潜んだ。内側から鍵がかかっていることを確認すると、 その場に隠れ、「ホウホウ」と梟の鳴き真似をした。低いがよく通る声だ。 それを聞いた園林の男たちからも、「ホウホウ」という鳴き声がした。 すると、どうだろう? 内殿の裏手のほうから、「火事だ!」という叫び声が聞こえてきたのだ。

 柴望の丈身で裏手にいた男が確認するため表に出ようとすると、空気を切るような音がした。 その丈身はさっと身を引く。肩口をかすって大きな矢が柱に食い込んだ。 裏には煙が立ち上る。それを見ながら、丈身は身体がしびれてくるのを感じていた。 かすり傷だと思った矢傷。しかし、先端には毒が塗ってあったらしい。 意識を保って中に入り、次の矢からは逃れることができたが、 「賊が!」と柴望のところまで行き告げることはできなかった。

   裏手に意識を集めていた他の二人の丈身は、仲間が戻ってこないことを不審に思っていたが、 柴望の警護をするのに出ていくわけにはいかない。 本当の火事かどうか確認できないまま室内にいたが、周りの空気に煙が混じり焦げ臭いにおいが漂い始めた。
「柴望様、表に移動しましょう。室内にいては危険です」
その判断は通常ならば悪くない。そして、火事は陽動の可能性もあることを考慮してはいた。 しかし、園林側に避難するのは必要事項だった。

 外側を巡回していた丈身は、「火事だ!」という叫び声を聞いて、方向を確認すると内殿執務室のすぐ裏手に煙が見えた。 走って行こうとすると足元に矢が飛んできた。その方向には三人の得物を持った兵士がいたのだ。 丈身は、自分の刀を抜き身構えた。射手がどこにいるのかは、暗くてはっきり分からない。 煙がだいぶ上がっている。「冷静になれ」丈身は自分に言い聞かせた。

 仮眠室で休んでいた丈身も、「火事だ!」の叫び声にすぐに飛び起きた。 仮眠室から得物をつかんで飛び出そうとすると、いきなり切りかかられた。 人数を目で追うと三人いる。相手も弱くない。 分が悪いことを知ると、仮眠室の中に戻り、得物を構えなおした。 この部屋は入り口しか解放部分がないのだ。一人ずつ相手をするなら、自分には自信がある。 丈身はそう思った。しかし、相手は外で構えているだけで、一向に襲ってこない。 自分は足止めを食らっている。そう感じると柴望のことが気になった。
「よもや、柴望様に限って……、いや、しかし……」
この丈身の脇と背中に冷たい汗が伝わった。