和州は、呀峰の独裁政治と言って良かった。良くも悪くもだ。
呀峰が自州の官吏達に出していた最後の公式な命は、禁軍をもてなすことだったのだ。
だが、肝心の呀峰は、いくつかの不運が重なって、さっさと金波宮に護送されてしまった。
ところが、禁軍左将軍の迅雷は、呀峰がその罪を問われて、首都州に護送されたと、はっきり和州の州城で働く者たちに言わなかった。いや、言えなかったのだ。
主不在の城で、中にいる者たちはとりあえず、呀峰の出した命に素直に従って、禁軍をもてなした。
彼らには一番位の低い兵卒にも、温かな食事が与えられたのだ。
大喜びの兵達は、それをありがたくいただいたという。
元麦州師の反乱軍については、その首謀者や指揮を執っていた者が捕まる前に、肝心の呀峰が金波宮に護送されてしまったため、どこの誰が反乱軍を構成していたかという事実は、確認できなくなっていた。
そんな中で、昔から因縁のあった麦州師と和州師は、できるだけ距離をとるようにその待機場所も、配慮されていたのだ。
こうして、周りが明郭の乱終結に向かっていく時、柴望と迅雷は密かに会うことになった。
「柴望殿か?」
「いかにも、私が柴望です」
「禁軍左将軍を拝命している迅雷と申す」
「これは、失礼いたしました」
迅雷と柴望は、和州の外殿に当たるところにひっそりと構えられた書院のような部屋でお互いを確認していた。
跪礼しようとする柴望を片手でとどめ、迅雷は話を続けた。
「我らは主上の命で、呀峰を金波宮に護送するために参った。呀峰の所行については、金波宮でも色々な憶測が飛んでいたようだが、確証があったわけではない。そこで、証拠となるような物を捜索することも、同時に指示されていたのだ。ぜひ協力を願いたい」
「もちろん、そうさせていただきましょう」
「柴望殿、元麦州軍は明郭にどのくらいいるのか?」
「そうですな、およそ五千ほどかと」
穏やかな表情で柴望は答えていたが、禁軍のすべてを信じていたわけではなかった。この数は実際の半分ほどである。しかし、柴望はこの闘いがすでに主上の耳に入っていると言うことを知っていたのだ。乱を起こしたときに比べると、すでにその半数は、軍備を解き、自宅に帰している。そのほとんどが麦州に家土地を持っている者であった。乱はすでに終結。和州軍も動きがなかったので、何の抵抗もなく、明郭を離れることができていた。つまり、その時点では、まんざら大嘘でもなかったのだが、柴望は自分たちの勢力をはっきりと禁軍の左将軍に教える気はなかった。
「浩瀚の命であったのか?」
「さて、そうとも言えますが、そうでないとも言えます」
「なるほど」
迅雷は、浩瀚をどうこうする気はないようだった。
「では、我々が州城で証拠品の押収をするので、柴望殿は、固継の閭胥、遠甫という方を探してはもらえないか?」
「承知いたしました」
「何か思わぬ争いごとが起きても面倒だ。禁軍から夏官をつけよう」
「これは、ありがたき幸せ」
耳に聞こえはよいが、監視役であろう。柴望はそう思ったが、拒否することもないかと判断した。
「あまり人数が多くても、無駄が出てしまいます。我らが元麦州州師は、みな故郷に家族や土地を残して参りました。できましたら、必要な人員を除き、解散させていただきたいのですが」
桓たいの連絡があったとはいえ、禁軍をどのくらい信じて良いかは、柴望にははっきりとわからなかった。用心に越したことはないと、彼はこう切り出した。
迅雷は、尤もだという表情をしていたが、その案を肯定したわけでは無さそうだ。
「それはわかる。しかし、つい先ほど主上から次の青鳥が届いてな。これをご覧に入れよう」
そこには、流麗な文字で、まず、
―― 麦州州師については、一部呀峰護送へ同行させよ。残りは軍備を解かず和州城周辺にて待機。何かあった折にはすぐに報告すること。禁軍と力を合わせ、閭胥遠甫を救出。不正の証拠捜索。和州に平和を。――
とあり、明らかにそれとは異なった書体で「中嶋陽子」署名され御璽が押されていた。
小さな紙にはち切れそうな文字、柴望は思わず笑みがこぼれた。
何か事情がありそうだと解釈した柴望は、穏やかに微笑んで迅雷に答えた。
「よくわかりました。では、我々には場内を自由に歩くことのできる許可をいただければありがたいが」
「もちろんだ。おい、そこにいるか?!」
書院入り口が開き、軽く拱手した官吏は、夏官府からきた役人であった。
「ご同行いたします」
実直そうな男だと、柴望は思った。
「では、それぞれに命を全うせんことを祈る」
お互いに礼をとり、書院を出た。
監視役の夏官は若い官吏だった。今回の遠征も上司から命じられ、何かおかしいと感じながら付いてきたのだ。そこで、図らずも麒麟に乗った陽子のすさまじい覇気を見てしまった。
彼もまた、王への忠誠を思い出した一人だったのだ。
「夏官殿、我らは一介の傭兵でございます。どうか先頭に立って閭胥をお探しあれ」
そう、柴望が願い、彼の丁寧な拱手を受けると、若い夏官は、主上から直接の命を自分が受け、実行することができると大喜びで共に遠甫を探しにでた。
若い夏官と、何人かの麦州師精鋭を伴った柴望は、まず罪人を入れておく牢を訪れた。
ほとんどが呀峰の政敵であったり、呀峰にたてつく豪農や商家の者だった。
また、磔や斬首を待つだけのどう見てもふつうの民人もとらわれていた。
聞いてみると、納税が遅れたり、夫役につけなかった者だという。里ではよく噂になっていたが、この囚達を見て、柴望は改めて、悲惨な明郭の政情を見た思いがした。
彼らは皆、呀峰が金波宮に罪を問われて護送されたこと聞くと、和州もきっと変わるだろうと涙を流して喜んだという。
柴望は、自分には権限がないので、罪の無いものについては、必ずその冤罪を認めさせ、釈放に至るよう進言することを約束して、その場を離れた。中には、目つきの鋭い者や、明らかに悪行を行っているだろうと言う者も混じっていたからだ。
しかし、ここには遠甫の姿はなかった。見た者もいないという。
「老師はどこにとらわれているのだろう?」
このあと、州城の各府吏を尋ねてみたが、手がかりはなかった。
柴望は、迅雷が夏官をつけてくれたのを心の中で感謝していた。
彼は、自分たちが元麦州師だとは言わずに、監視役の夏官に口上を述べさせたので、和州の官吏は皆、協力的であったのだ。
日はとっぷりと暮れ、寒さが増したきた。しかしながら、闘いは終わり、十分な食事も確保できて、禁軍、和州軍、元麦州軍はそれぞれの疲れを癒すことができたといえよう。
和州の官吏達は、柴望を客殿の一つに案内した。今日確認したところには、遠甫の影はおろか、情報すらなかった。
閭胥捕獲は秘密裏に行われていたので、公の記録には残っていない。和州の秋官も首をひねるばかりだったのを思い出す。
柴望達は、客殿で夜を過ごしながら、明日はどこを探すか思案していた。
「柴望殿、さすがは和州城、暖かなものですな」
若い夏官が、金波宮の修繕が進まない兵舎を思い出して語った。夏官府の予算は削られていたのだ。
「ああ、左様ですね。呀峰はいったいどんな生活をしていたのでしょうな」
禁軍ではないのだが、城内を捜索している柴望達の所にも、酒と肴が届けられていた。
「夜は、やはり後宮に美女を侍らせて、暖をとったのですかねえ」
気さくな麦州兵が、柴望の顔をのぞき込む。
「英雄色を好むと言いますからねえ」
うまい、と言いながら別の兵が独り言を言うように話し出した。
柴望は、明日があるからあまり飲むなよ、と軽くその兵をたしなめていた。
しかし、呀峰は女におぼれるような人間ではないと、柴望は思っていた。
「案外、後宮に隠していたりして!」
さらに別の兵が戯れ言を口にする。
柴望は、ふと後宮は全く探していなかったことを思い出した。
「案外、そうかもしれん。夏官殿、明日は後宮を当たってみましょう」
「そうですね。では」
「「では、みなさまお休みなさいませ」」
麦州師は交代で見張りに付く。落ち着かない夜だったが、とりあえず柴望は一晩安心して眠ることができそうだった。
次の朝、用意してもらった朝餉をすませると、早速後宮へ向かった。
今までの所では、特に柴望達をどうにかしようという輩はいなかった。和州の官吏達は、禁軍と元麦州軍の区別が付いてはいなかった。
また、どうやら、呀峰が金波宮へ行ったのは、通常の登城だと勘違いしていた者が多かったようだ。迅雷はその辺りをうまくうやむやにしていた。
彼としても、余分な恨みを和州の官吏から買いたくはなかったからだ。
まあ、正直に話していたとしても、恨みを買うことになるかどうかは、呀峰の過去に行った行為によると思われるが、迅雷もまだ、慶国の政における構図が激変したとは思っていなかったのだ。
禁軍は、秋官や地官から、書類案件を閲覧し、城内を捜索していた。余談になるかもしれないが、彼らは、ほとんど軟禁状態にあった牧伯を発見していた。和州の牧伯は、浴びるように酒を飲み、正気を失っていたという。
こちらも程なく、金波宮へ護送されていった。
和州の後宮は珍しい作りになっていた、長い回廊が四本、入り口から放射状に伸びて、ずっと先まで続いている。中には枝分かれしている回廊もあるようだった。そして、園林を超えた遙か彼方、ほとんど凌雲山の端とも言える場所に、宮が点在していたのだ。
柴望は顔をしかめた。これは女達が語り合うのを禁じるために違いないと、そう思っていた。
酷く時間がかかるが、一人ずつ会って事情を聞くしかない様だ。これだけ広い後宮なのに、下官や下女が極端に少なかった。情報漏れや連携を防ぐ、呀峰は剛胆なようで、ある意味慎重な男だったのだと、柴望は思った。
一本目の回廊の先には、両親を人質に取られ、むりやり呀峰の物になったという若い娘がいた。呀峰捕縛を伝えると、両親に会えると大泣きをしていた。
二本目の回廊を渡った先には、妖艶な女がいた。彼女は呀峰の失脚を驚いてはいたが、これで清々すると柴望らに告げ、城から出る許可が欲しいと訴えた。その女は弱い男には興味がないと言い放ち、柴望達に向かって強がって見せた。
三本目の回廊を渡ると、そこにはたくましい女がいた。呀峰の事を伝えると、これで同志に報いることができると、静かに涙を流していた。彼女の話によると、自分たちは呀峰反逆の企てを知られ、何人もの仲間達をを処刑されたらしい。生き残った同志には、呀峰から手先になるように要請され、彼女には自害などしたら仲間の命はないと、両方で脅かされていたのだ。それも、これでやっと終わりになると、さめざめ泣いていた。
三人三様の生き様があったが、誰もが呀峰が捕まったことを聞いて、自分が自由になることを喜んでいたのだ。
しかし、相変わらず、遠甫の情報は得ることができなかった。
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