その30



 COOCANは、YOOKOの採取してきた液体を調べてみて驚いた。黄昏星で「水」と呼んでいる液体その物であったからだ。 しかも、流れ出る際に混入したとみられる泥や砂の成分が僅かに見られるとはいえ、不純物のほとんどない、 いわゆる純水に近いものだったからだ。

 黄昏星では、地中からわき出るタイプの水は、それなりに地下の深いところが起源になっていることが多く、 その中には特徴的な成分が溶けている場合が多かった。炭酸や、マグネシウム、ナトリウムといった具合にだ。

「とにかく、水は手に入ったわけだ。これで、母艦にある材料では無く、この星にある物を使って多くの実験が可能になる」
COOCANは心が震えるような感覚を覚えた。先ほどのYOOKOの笑顔、それはなんと美しい物、いや心に響くものだったろう。 黄昏星では、心が動くことすら注意していなくてはならなかったからだ。
 さすがに、「心が動いた」ぐらいでは罪に問われたりすることはなかったが、 マナー・常識・社会のルール、等と言う言葉で、巧みに禁止されていた事であった。

「いまや、黄昏星の習慣が懐かしいか」

COOCANは、自分で自由に考え心が動くさまが珍しくも新鮮であった。 そして、自分の顔の筋肉が妙に和らいでいくのが感じられた。 自然に口端は上がり、目が細くなるような気がした。 『幸せ』という言葉すら忘れられようとしていた黄昏星は、 ほころぶような微笑みなどは、表現することはなかったのだ。COOCANは胸が暖かくなっていくことを理解した。

「COOCAN! できたよー!」
「YOOKO、今そちらに行きます」
COOCANは、自分のデスクから、スペースを区切るために作った衝立をいくつかよけながら、 簡易研究所の真ん中にあるリビングスペースの大きなデスクへと向かった。 二つの不思議な形をしたガラス製のカップが置かれていた。

「COOCAN、ここへ座って!」

YOOKOは、いつもよりリズミカルな口調で、 大きな緑色の目をくるりと動かしながらCOOCANをデスクの椅子まで先へ立って案内する。

「この器は確か……」

何かを思い出そうとするCOOCANの気まじめな表情をくすりと小さく笑いながらYOOKOは、

「うん、ワイングラスだよ。まだ、黄昏星を出発する前、荷物を運んでいるときに、見つけたんだ。 私の家に昔からあったものらしい。何に使うかさっぱりわからなかったけど、 とてもきれいなので破棄しなかったんだ。Circle4に調べてもらった。 黄昏星では博物館にでも行かないと現物にはお目にかかれないような貴重なものだったらしいよ」

と言った。

「確かに、よくこんな物が残っていましたね」

透き通ったガラス製の細い足がついた、水分を入れておくもの。 ただそれだけで、装飾があったりしたわけではないのだが、COOCANは感心していた。

黄昏星で、酒と呼ばれるアルコールを含む飲み物が禁止されてからどのくらい経っただろう。 星の人口が一千万人を切ったころだったろうか。当時は、まず販売が禁止され、 次第に作ることも禁じられていった。完全に禁止されても、常の世であれば、 法をかいくぐり密かに作り続ける不逞の輩がいたことだろう。 しかしながら、黄昏星では総人口が少なすぎて、酒造りを伝承することができる人間を輩出できるほどの余裕が無かったらしい。 さらに、黄昏星の一般的な住人は、「酒をどうしても飲みたい」と言うような、要求が減退していったのだ。 もちろん、それは黄昏星の人類が臨んで自分の体に起こした変化だったのだから、仕方のないことなのだが。 酒は、飲みたいと思う人間がまずいなくなり、作り方は記録されていても、具体的に作る者が絶えて行ってしまったわけだ。

「ではCOOCAN、乾杯しよう!」
「乾杯ですね」
「そうだよ? COOCANも知っているよね。Circle4の学習映像で、 昔の人たちが大勢でお祝いのときに酒を満たした入れ物をお互いにぶつけ合うのを」
「おや、そんな映像がありましたか」
「うん、なんだかわくわくした」
COOCANはその言い方を受けてとても優しい笑顔になる。
――ああ、自分も同じだ――
そう思ったのだ。
「酒はどうしたのですか?」
「いや、さすがにそれは難しいので映像にあったブドウという木の実で作った液体の色を合成着色料でまねたんだ」
「なるほど、では酒では無いんですね」 「そうだよ、酒って割合簡単な化合物なんだけど、 飲むと大変苦しんで精神がおかしくなると言われているから、まあとりあえずやめておいた」
「そうですか?」
COOCANは随分情報操作されているのではないかと思ったが、とりあえず黙っていることにした。
「で、『おつまみ』と言う物は?」
「これがものすごくたくさんあってね。一番作りやすそうなものを作って持ってきた。 チーズと、エダマメと、鳥の唐揚げだよ」
「これは随分手の込んだものを合成しましたね」

COOCANはそう言ったが、チーズは緩くヨーグルトの様なもので器に盛ってあり、
エダマメは鞘が無く、豆の部分のみで少し黄色がかっていた。 鶏肉はもちろん合成で、油で揚げるのも機械が自動で行った物だった。

「そうだね。味や香りはちょっとわからないけど、多分大丈夫だと思う」
「これを楽しめるほどの味覚や嗅覚が私たちに残っていればよいのですが」
「うん、自分としてはおいしいと思うのだけど、比較ができないからね」
「そうですね」 黄昏星では、基本的に口から食料を摂取する必要はなくなっていた。 YOOKOやCOOCANはレトロ趣味を持っていたことで、 人類として原初に近い形の生命活動を積極的に取り入れていたのである。だからこその行為だった。

「「カンパイ!!」」

二人は声を合わせるとお互いのグラスをそっと打ち合わせ、カチンとかわいい音をさせてから、 その飲み物を飲み干した。

「ああ、なんだかとても気持ちが良いです」
「私もだよ、COOCAN!」

二人は見つめ合う、すると、なぜか体温が上昇したような気がした。 こんなことは今までになかったと思いながら、YOOKOはふと、 食事を合成するのにこの星の水を使ったせいだろうかと、思案していた。